「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

「カレー屋さんから教えられたこと」

 清八でございます。ごぶさたでした。

「別冊ちりとてちん」に掲載していただきました、私が新居町内で27年間続けることができています地域寄席が5月31日に第60回目を開催、有料客72名で大入り満員でした。

今回は記念公演ということで、ゲストにこれまで来演していただいた三遊亭遊之介、桂小南治、桂小文治の三師匠に来ていただけました。そして、レギュラーは浜松出身の瀧川鯉昇師匠ということで私の前座も含めて五人で二時間半という豪華番組となってしまいました。

実は、この落語会は鯉昇師匠の勉強会として始めたため、私もゲストの方も含めて、百席までは全員が違う演目にしようと決めて始めました。ところが、根がずぼらですから事前に打合わせをするわけでもなく、前日か当日になって演目を決めるというとんでもない会になってしまいました。百席達成後は同じ演目でも可能というルールに変えたのですが、いつの間にか、又、当初のルールに戻ってしまい、この日の演目も含めて170席に達しました。本当にありがたいことでございますが、いつも同じ楽屋でご一緒していて、お互いに演目を決める時の緊張感は他では体験させていただけない時間です。

なお、当日の様子が桂小南治師匠のHP内「小南治の日記 浜松その3に掲載されていますので、ご興味のある方は覗いてみて下さい。(http://konanji.cocolog-nifty.com/blog/)
浜松市内での活動としては、中区松城町の「読書空間ひつじ日和」さんで3月から素人落語会を始めております。二回目は8月22日で計画中です。こちらも、ご興味のある方は覗いてみて下さい。(http://hitsujirushi.moe-nifty.com/)

以上、業務連絡で失礼致しました。

 今回のテーマですが、私は小学生高学年頃からお笑い・演芸・落語に興味を持つようになって関西系のお笑い番組、演芸場からの中継をテレビで見続けるようになり、オープンリールで録音するようになり、高校三年生頃から日帰りで大阪市内の演芸場・イベントホールへ通うようになりました。

 今から38年前です。普通の飲食店にはまだ一人では入れず、昼は梅田か難波で立食いうどん、夕方は、新大阪駅の地下のカレースタンドで普通のカレーライスを食べて帰るというパターンでした。ここのカレー屋さんは今のお店とは全く違うのですが、出入り口に食券券売機があって、U字型のカウンターのみで30席だったと記憶しています。このお店で受けたカルチャーショックがあるのです。券売機にお金を入れた瞬間に、そのお店でたった一人のマスターはお皿にご飯を盛り始めたのです。食券を出すと、ルーをかけて、カウンターに置かれたのが、5秒後でした。次々に入ってくるお客さんに対しても同様でした。帰りの新幹線内で、これが大阪のやり方なのかと感心したものでした。確かに、カレースタンドに入ってくるお客ですから、ラーメンを注文することはないので当然と言えば当然です。大盛りだったら、ご飯を追加すればいいし、カレーとハヤシでルーの鍋は別になっているはずですから。

そして、今から20年位前、豊橋市内の素人寄席や地域寄席に通い出した頃です。リニューアルされる前の豊橋駅ビルの地下にカレースタンドがあって、よく立ち寄りました。このお店も出入り口に券売機があってU字型のカウンターのみで20席でした。このお店の大盛りは、富士山カレーといって、ご飯が富士山のように盛られていました。よく学校帰りの体育会系の高校生たちが「何で、食べても食べても減らんねん。これやったら、家帰ってから食べられへん」と言いながら、嬉しそうに食べておりました。ここでも一人のマスターは、お店に入った途端に、お皿にご飯を盛り始めました。食券を出すとルーをかけてカウンターに置かれるのが5秒後でした。それが何やねん、とお思いでしょうが、別バージョンの事例があるのですよ。

国鉄さんが民営化されてJRになり、静岡駅構内がリニューアル(現在ではありません)された時代です。JR社員たちのショップが二軒誕生したのです。手焼き草加煎餅屋さんとカレースタンドです。このカレースタンドもU字型のカウンターのみで26席だったと記憶しています。券売機はありませんでした。カウンター内にJR社員さんが二人、厨房内にパートのおばちゃんが二人いました。メニューを見て注文すると、先ずJR社員のお一人がお皿にご飯を盛り、次のJR社員さんにその皿を渡すと、その人がルーをかけてカウンターに置くのみという段取りになっていました。厨房内のパートのおばちゃんは何してんのかいなぁと覗いてみると、トッピング用のトンカツやコロッケ、エビフライを揚げる人が一人、もう一人は皿洗い専任のようでした。ランチタイムもこの流れでしたので、一度、満席になってしまうと、もう誰からどうして優先順位を決めて流していくのかパニックになっているようでした。こんなんやったら潰れるわと内心思っていましたが、JR社員さんは何度か人事異動されたようでしたが、案の定、まもなく閉店しました。私は、これまでも、これからも飲食業を直接営業することは無いと思いますが、もし、関わった場合、新大阪と豊橋のカレースタンドのマスターになろうと強く思ったものです。

後で知ったのですが、もう一軒の手焼き草加煎餅屋さんはJR社員さんが二人で、店頭で煎餅を焼いていたのですが、これは単なるデモで売り物にはできなかったんだそうです。こちらのお店も、まもなく閉店しております。

浜松市内でも様々な飲食店があって、様々な経営・営業形態があります。当然、成功する方程式はありませんからその店長・オーナーの考え方でかまいません。しかしながら、パートさんやアルバイトを雇って、利益が減ったとぼやいたり、お客数の増減に対応できないとお悩みになっておられるのでしたら、ぜひ、ご自身でどこまでできるのか試してみられることをお勧めします。以前、このコラムで書かせていただきましたが、飲食業は清掃業です。とんでもない大きなお店でない限り、玄関先の清掃、飾り付けは店長・オーナーが担当なさるべきだと考えるのですが古い考えでしょうか。

2009.7.6


34年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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