「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

「豆まきの由来から京都落語になりました」

 清八でございます。

 遅くなりましたが、本年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。もう二月になってんのに何を言うてんのやと、お叱りを受けそうですが、旧暦では2月3日がお正月となっておりますので、ご勘弁願います。もともと「節分」は季節の替り目、この立春正月は一年の始まりなのでございます。以前、「恵方巻き」について書かせていただきましたが、なぜ、 豆まきをするのか、その理由をご存知でしょうか。様々な説があるのですが、古来、中国では穀物や果実には「邪気を払う霊力」があると考えられており、神社仏閣、一般家庭でも冠婚葬祭のお供え物として用意されてきました。決して、今のように発泡酒や醤油パック、お米券ではありませんでした。何故、「豆」になったのかと言いますと、豆は「魔滅(まめ)」 に通じていて「魔の目(まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する」という厄払いの風習になったとする説がわかりやすいと存じます。落語の「厄払い」には、いただいた豆を町内の豆腐屋に売りに行って儲けるというエピソードがあります。「節分の豆ちゅうのは、炒った豆やで、 豆腐屋へ持っていって、どないすんのや」「あっ、なりまへんか?焼豆腐に」こんなギャグが残ってますな。生の豆を使いますと拾い忘れた豆の芽が出てしまい「魔の目」が出てきてしまいますので、「炒る」ことにより「魔の目」を「射る」ことにして、最後は食べてしまうことにより鬼を退治したという落ちになるわけなんです。昔の日本人は、言葉と食べ物をうまく使っていたと感心してしまいます。前回の「ちりとてちん」では、うさぎ年の小噺を書きましたが読んでいただけましたか。昨年、謎掛けがブレークしましたが、落研の頃でも時間があれば何か考えておりました。三回り前のうさぎ年に披露した謎掛けの記録が残っていましたので、恥ずかしながら掲載します。「うさぎ年と掛けまして……、政治家の人脈と金脈と解く」「……その心は……」「国民が聞き耳をたてる年です」学生時代でしたので、こんな生意気な謎掛けを考えていたようです。

 ところで、古典落語には江戸落語と上方落語が残されていて、それぞれ江戸弁と大阪弁で語り継がれております。ところが、同じ上方でも京都弁による京都周辺を題材にした「京都落語」もあったと、学生時代に京都出身の方から伺った覚えがあります。久しぶりに思い出して、京都落語の一席をご紹介させていただきます。 東京では日本橋、大阪では船場、京都では室町といったところに大きなお店が並んでおりますな。この室町の大きなお店の一人娘で、お福さん、風邪がもとでコロッと死んでしまいました。ご両親の嘆きようは一通りではございません。娘に取りすがって悲しんでおります。 ここで場面は変わりまして、冥土の四丁目、正面には大閻魔庁という白亜の殿堂がデーンとも何にも言わんと構えております。左に曲がりますと地獄、右へ行きますと極楽でございます。ただいま閻魔庁では開廷の真っ最中でございます。「次の亡者、出ませぃ」「こりゃ、亡者、その方はいずれからまいった」「はい、京都は、室町にございます」「室町とな、して父の名は…」「はい、織之助と申します」「うん、母の名は…」「もめん、と申します」「して、その方は…」「お福でございます」「う〜ん、その方の家の家業は、呉服屋であろう」「畏れ入りましてございます」「見る眼、嗅ぐ鼻。これなる娘はいかなる罪状を犯しておるか述べてみぃ」「ははっ、これなる女は、生き物の命を奪っております「何、けしからん。いかなる生き物じゃ」「蚤でございます」「蚤の命か。他には…」「はっ、人様の物を盗んでおります」「けしからん。他人の物を盗むとは、して、いかなるものじゃ」「往来を通行いたしましたるみぎり、鰻屋の前で鰻の臭いを嗅ぎ盗っております」「けしからん。その他に…」「これだけにございます」「赤鬼、この娘の罪状を調べたか…」「はっ、大王様。それが、帳面には何も載っておりません」「載っておらん…。おかしいではないか」「こりゃ、お福とやら、娑婆におった時には、いかなる医者にかかっておったのじゃ」「はい、三丁目の竹庵先生でございます」「何っ、竹庵とな。又、やりおったな。あいつは要注意人物じゃ。何でも達者な奴を殺せばよいと思って、次から次へと送り込んでくる。…かわいそうになぁ。大王様に申し上げます」「何じゃ」「かくかくしかじかで…」「また、竹庵がやりおったか。おっ、赤鬼。おまえ泣いておるな」「はっ、こんなかわいい娘が竹庵の手にかかるとは、かわいそうで…」「なるほど、鬼の目にも涙じゃな。よし、お前の良きように取り計らえ」「はっ、ありがとうございます。こりゃ、娘。大王様のお許しがでた。お前は、まだ死んではおらん。このまま冥土におってもよいが、どうする」「はい、もう一度、お父様、お母様に逢いとうございます」「そうであろう、そうであろう。じゃ、こっちへ来い。これが阿弥陀ケ池じゃ。ここへ飛び込むと生き返る。ええか、わしに続けよ。一、二のドッポーン………チャポン…」「おいおい、婆さんや、いつまで泣いているんじゃ」「爺さん、わたしゃもう生きる望みも何も無くなりました」「そのようにいつまでも嘆き悲しんでいても仕方がないじゃないか。あれっ、先ほどから棺桶がぐらぐら揺れているようじゃが……」「あれーっ、お、お、お爺さん」「何じゃ、大きな声を出して」「お父様、お母様、ただいま戻りました」「お福、どうしたんじゃ」「はい、実は、こうこうこういう訳で親切な赤鬼さんに助けていただきました」「そうかい、そうかい。渡る世間に鬼は無しと言うが、いたんじゃなぁ。さぁさぁ、赤鬼さん、赤鬼さん。どうぞ、そんな庭の隅に立ってんと、どうぞお入り下さい」「いやぁ、それがならんのじゃ」「どうしてでございます」「福は内、鬼は外」

2011.2.27


34年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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