「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

「150号まできました。湯木貞一さんから、とと姉ちゃんに続きました」

 清八でございます。ごぶさたしております。バックナンバーNo.25に残っておりますが、「私の愛読書」は「暮しの手帖」ですと、当時、カミングアウトしておりました。高校二年生の頃、町の図書館で立ち読みしたのが、きっかけだったと記憶しておりますが、20代半ばになって、突然、実家で洗濯・炊事をしたり、仲間とオートキャンプを楽しむ生活になって再び読み出し、約38年間定期購読するようになりました。私の本棚には1978年2月の第二世紀第52号(画像①)から第四世紀第83号(画像②)まで保管してあります。20代の頃、「暮しの手帖」が愛読書だと告げると異性からも同性からも変わってるね、と言われました。飲食業界でアルバイトすることも板前やシェフに憧れることもなく、家庭科の教師を目指す訳でもなく、大阪吉兆の湯木貞一さんの懐石料理、帝国ホテルの村上シェフや大阪リーガルホテル常原シェフの洋食の一皿一皿のレシピと写真を見比べては、その香りと感触、味わいをイメージしていただけでした。以前にも書きましたが、私は現在の湖西市に合併する前の新居町、荒井関所前で生まれ、小学4年生までその家に居りました。隣家は洋食堂と酒屋さん、斜め向かいには手焼きの煎餅屋さん、歩いて3分程の通りにはアイスキャンディー屋があり、うどん屋、寿司屋、5分も歩けば、肉屋、魚屋、乾物屋、駄菓子屋、和菓子屋、餅屋、中華蕎麦屋、コロッケとイカてんぷらの惣菜屋がありました。スーパーもコンビニもファーストフードも無かった時代だったけど、何でも揃っていました。家の裏には井戸があり、天然鰻の漁師さんたちは漁があると、捌いていて、頭や肝をいただけました。隣の洋食堂には手作りのアイス最中があり、売れ残ったり最中の皮が割れたりすると、おやつにいただけました。酒屋さんで味噌、味醂も醤油もソースも量り売りだったので、裏口から一合や二合、ツケの帳面を持たされて通ったものです。そんな時には、内緒でプラッシーとか飲ませてくれました。煎餅屋さんでも、割れたり、粉になったり、少し湿気った煎餅を新聞紙の紙袋に入れてくれました。大人になっていろいろな商店街に行ってみて理解できたのですが、どんな大都会で育っても、こんな経験はできなかったんだろうと、懐かしく思い出すのです。
21歳の頃、遠州文化連盟という音楽の鑑賞団体と出会い、スタッフとして加わるようになりました。学生時代、フリーター時代、そして一年遅れの就職先は地方公務員だったのですが、当時の事務局は継続を認めてくれました。結局、1999年7月の解散時までスタッフの一人として手伝っておりました。1977年頃、社会人向けのテーブルマナー教室とフランスワインを味わう「フランス料理の夕べ」という企画が持ち上がりました。現在のターバンさんで月一回、会費3300円、定員10名、ワイン三種でコース料理という設定でした。当時の私の地方公務員としての月給は75000円でした。当時の浜松でも毎月は満席になるどころか、4~5人という月がありました。設定日の二日程前になると事務局から電話があり、員数合わせのホストを頼まれました。当然、正規料金です。当夜は、シェフの料理説明、ナイフとフォーク、スプーンの使い方、そしてワインの説明、魚や肉の調理方法など、毎月内容を巧みに変えられたので、フランス料理とフランスワインが判ったような気分になったと記憶しています。何度目かのメイン食材が、蒸した「アーティチョーク」でした。一枚一枚、ガクを外して食べました。私は、この料理を「暮しの手帖」で見て知っておりました。もちろん食したのは、この時が初めてでしたが。ターバンさんの当時の貴重な説明書き(画像③)を保管してありましたので参考に提供します。浜松市内では、ターバンさんの次に1983年開業のエピファニーさんに出会い、「ワインを楽しむ会」にも参加、現在までお付き合いさせていただいております。この「ソルト・ドット・コム」から声をかけていただいてからは、豊橋のフラスカテイさんと出会い、食体験をイタリアンまで広げることができるようになりました。

本物の吉兆さんに入店できたのは、一見さんお断りでないホテル西洋銀座店でした。その時は、「暮しの手帖」に紹介されていた懐石料理ではなく、特別限定の「吉兆鮨懐石」でしたが、イメージしていた通りのお皿と盛り合わせ、色使いなど感動して味わっていた記憶があります。その後、40代、50代と京都での懐石や八日市での世界一の料亭「招福楼」での懐石まで味わうことができました。長浜市余呉町の徳山鮓さんでの、発酵料理、ジビエ料理も通うことができました。
 今年のNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」制作が公表されてから、私の本棚にあるこれまでのバックナンバーから「おそうざいふう外国料理」の写真とレシピを読み返してきました。シャリアピンステーキ、ロールビーフのトマト煮、マカロニグラタン、玉子のグラタン、エビのアメリカン、キッシュロレーヌ、カナッペ、オープンサンド、シュリンプカクテル、スペインオムレツ、牡蠣のチャウダー、まだまだ、最新の83号までには到達できそうもありません。昭和20年代は、七輪による進駐軍の料理再現だったと想像できるのですよ。
 これからテレビ番組の中では、商品テストが開始されます。現在のように消費生活センターの無かった時代です。内部告発者に対する保護制度もまったく無かった時代の話です。やがて、編集長が交代されると、コスト削減のためか。この商品テストは姿を消されてしまいます。その後、さまざまな粗悪品や意図的な害のある商品が市場に出回ったことは、50代以上の賢明な方々は御存じだと思います。今回の「とと姉ちゃん」のドラマによって、お若い世代も、本当の暮しに役立つ記事は何だったのか、思い起こしていただきたいと思います。戸籍年齢62歳の若輩者の発言ですが、大げさに言うと、街づくりを見直したり、これから再活性化できる取組みの正解が書かれていたと思います。
 ところで、公立の図書館には、何号からのバックナンバーが保管されているのでしょうかね。(画像④、⑤、⑥)

画像① 画像② 画像③
画像④ 画像⑤ 画像⑥

2016.8.8 清八

 


34年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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