清八でございます。
5月5日(祝)は、年に一回のお愉しみ「とよはしアートフェスティバル 大道芸inとよはし」を観に行き、4組の大道芸「HARO[足長ウォーキングアウト]、「ブラックエレファンツ[ジャズ]」、「Syan[バルーンパフォーマンス]」、「加納真実[マイムコメディ](画像①)を堪能できました(画像②)。豊橋の会場は、一つの演技会場に観客が多くても200人、しかも子供たちを前列に座らせようと参加者が協力していて、とてもあったかいんです。この日のランチは、連休中だけど営業されていた駅前大通り2丁目「平和食堂」さんに早めに飛び込みました。(画像③)おじちゃんとおばちゃんが仲良くやっている老舗の大衆食堂ですが、創業が昭和元年という、老舗です。昼呑みも可能です。今回は「魚フライ定食」にしました。シンプルだけど、赤出しに丼飯で税込み750円でした(画像④)。お茶は2杯目からはセルフになりますが、安心、安全のお店です。日曜・祝日休みで支払いは現金のみです。

(画像①加納真実)

(画像②大道芸チラシ)

(画像③平和食堂)

(画像④魚フライ定食)
5月12日(日)、シネマイーラ浜松で「幕末のヒポクラテス」を観たのですが、終演が11時12分だったので、以前から気になっていた「カネスエ ザザシティ浜松店」で、「こだわり玉子焼使用ちらし寿司」(画像⑤)を購入、帰宅してから試食してみました。税抜きで197円です。量的には少し物足りないのですが、すうどん・すそばと一緒なら十分満足できるランチになりました。カップ麺・スープ・レトルトカレー・バゲットなど定期的に購入しているのですが、この一品も満足できる品物でしたよ。

(画像⑤ちらし寿司)
5月14日(木)は、久しぶりの浜松市内での外食ランチでしたが、午前中は浜松市美術館で4月4日から5月17日まで開催されていた「足立美術館展」を招待券で鑑賞させていただきました(画像⑥)。ランチまで少し時間があったので、何十年ぶりに天守閣に入りました。何と、70歳以上は無料となっておりました(画像⑦)。浜松市民ではありませんが、ありがとうございました。

(画像⑥足立美術館展)

(画像⑦浜松城)
いよいよ、ランチは浜松のフレンチの老舗「エピファニー」さんでCコースをいただきました。最初の料理2皿は「舞茸のサラダ・エピファニー風」(画像⑧)と「しらすのキッシュパイ」(画像⑨)。そして、「舞阪港の魚のポアレ」(画像⑩)、メインは「牛肉の赤ワイン煮」(画像⑪)を選びました。そしてデザート盛合せでした。43周年、おめでとうございます。私達夫婦は43年前の最初のお店をよ~く知っております。そして、そして、「エピファニーで楽しむワインと料理」は、3年間は通いました。フランス各地の一皿とワインの組み合わせを勉強させていただきました。コースで頼んだ時のワゴンチーズ盛合せは、お好みを選べたのですが、マダムからは毎回、「全種類ですね!」と言っていただき、全種類を味わせていただいたものでした。おかげさまで、チーズの知識も身に着きました。
実は、このコラム「ちりとてちん」ですが、南竹シェフが「浜松三ツ星会」の4代目会長を務められていた2002年頃、当時の編集長・水谷さんを紹介され、書かせていただくようになったのです。

(画像⑧舞茸のサラダ)

(画像⑨しらすのキッシュパイ)

(画像⑩舞阪港の魚のポアレ)

(画像⑪牛肉の赤ワイン煮)
5月23日(土)は、朝から久しぶりの東京でした。山種美術館(渋谷区広尾)の「川合玉堂」(開館60周年記念特別展)を鑑賞後(画像⑫)、金子半之助人形町店へ移動しました。日本橋の本店は平日・土・日に関係なく2時間待ちとの情報から断念しました。この人形町店では15分待ちでした(画像⑬)。「天ぷらめし・松」とビールを頼みました。穴子は予想をはるかに超えた大きさで(画像⑭)、ご飯も300グラムはありました。
ランチ後は、本日のメイン、三越劇場での「長唄の会VOL.43」を鑑賞(画像⑮、⑯)、長唄の「唄」「三味線」「囃子」を堪能してまいりました。この会をプロデュースされているのは浜松の「尚雅堂」さんで、県西部、東三河地区・名古屋等の邦楽・日舞の会などの裏方として活動されています。毎年の浜松祭りでは三味線や太鼓のメンテナンスを担当されているんです。もう12年位になりますが、新居町内での「本果寺寄席」のお手伝いもお願いしております。いつも、ありがとうございます。

(画像⑫山種美術館)

(画像⑬金子半之助人形町店)

(画像⑭穴子天)

(画像⑮長唄の会チラシ)

(画像⑯長唄の会アンコール)
5月26日(火)は、「浜松三ツ星会」の勉強会に参加してきました。(画像⑰)浜松市浜名区三方原町の「山本舞茸栽培センター」で、舞茸の生産現場を見学させていただきました。元々は、米・麦が育たない土地で、大根を育てて漬物を家業にされていて、30年まえから舞茸栽培に移行されました。「O-157」で生野菜が売れなかった時期には最高の栽培数であったとのことでした。夏期の冷房、冬期の床暖房、そして水分調整の毎日、「我が子のように育てている」と説明されていた山本さん、ありがとうございました。(画像⑱)お土産も追加で購入させていただいた舞茸、美味しくいただきました。今回の貴重な説明は、「購入してから冷蔵庫で4~5日は冷蔵庫保存で大丈夫だけれど、新聞紙で包むより、ラップです」。参加のシェフからも「そりゃ、そうだね。新聞紙だと紙片が舞茸にくっ付いて、お客様には出せないから‥」との現場のお声もありました。そうそう、山本さんから「困ったお客さんもいてね‥」と。
「個人のお客さんだけど、購入されて家に帰られてから、白いカビが付着していたと、クレームがあってね‥」舞茸に限らず、しめじも椎茸もエリンギも「菌糸」の菌類なのだから、白いカビではなく「白いふわふわ」なんですけどね。

(画像⑰浜松三ツ星会)

(画像⑱山本さん)
5月31日(日)は、「別冊ちりとてちん」に掲載してきました第105回本果寺寄席「八代目柳亭小燕枝の会」でした(画像⑲)。二ツ目昇進直後の柳亭市弥時代から9回目の来演で、当会のレギュラーになっていただけました。今回の演目は、私・喜六家清八が創作落語「NHK子ども科学電話相談室」、柳亭小燕枝「一目上がり」「落語の神様」「夢の酒」。これまで44年間続けてきて、初の演目4席でした。プロの噺家さんは、凄いですね。
当夜の反省会(打上げ)での料理は、タイ料理から「パッタイ」(画像⑳)、中華料理から「京都白味噌餃子とたまご春巻」(前回紹介しました京都町中華です)、そして和食から「柿の葉寿司」(画像㉑)でした。今回、初めて知ったのですが、「柿の葉寿司」は賞味期限が48時間相当です。今までは自然に硬くなっていくシャリをそのまま食していました。ネットで調べてみたら、電子レンジで2分で「蒸し寿司」になることがわかり、やってみたら大正解でした。シャリは柔らかくなり、酢分が抑えられて、美味しく変化しました。ご興味がありましたら、やってみて下さい。

(画像⑲柳亭小燕枝)

(画像⑳パッタイ)

(画像㉑柿の葉寿司)
私は、プロではありませんので、当然、毎日のように喋ってはおりません。落語のマクラで昨日とか今朝の話題をその日に取り上げるような機会は殆どありません。この日は、たまたま中日新聞・朝刊に投稿されていた、83歳のおばあちゃんの話を喋ってしまいました。朝、一度、読んだだけでした。
今日の中日新聞に掲載されていました。ある83歳のおばあちゃんがシャンソンのコンサートに出掛けました。おじいちゃんは、お家でお留守番です。ホール内でスマホの着信音が流れると申し訳ないと、家に置いてきたそうです。会場に着いたら、時間を間違えていたことに気が付きました。本当は16時から18時だったのを2時間早く到着していました。そこで、家に電話して晩御飯が2時間遅くなると伝えようと思ったのですが、スマホがありません。そこで会場の事務所に行って、電話を借りようとしました。事務局員は、規則で貸せないことになっている。外に公衆電話があるので、それを使って下さい、と言われました。まだ、時間があるので外に出たら100mくらい先にあったので、その電話を使おうとして、困ってしまいしまいました。確か、最後に公衆電話を使ったのは50年?。使い方を思い出しながら、100円硬貨を入れて、ダイヤルではなく番号をプッシュしました。ところが、いつもはスマホからなので、この時は自宅の固定電話を何気なく押していました。電話に出たおじいちゃんが「えっ、おまえが固定電話に電話してきたのは何年ぶりかなぁ‥」。それで、時間の間違いを伝えて、コンサートを楽しんで、家に帰りました。家で晩御飯を食べながら、おじいちゃんが言いました。「なぁ、60年前は親の目を盗んで長電話したり、公衆電話で硬貨が落ちるのを心配しながらお互いに電話してたなぁ‥」と結婚する前に話をしだして、盛り上がりました。
という内容をマクラに使いました。次の日、リハーサルなしで、朝刊の記事を一回読んだだけで、よくすらすらと喋られたな、と私自身、嬉しかったです。私の戸籍年齢は72歳です。
今月も1冊、紹介させていただきます。
1998年11月30日に柴田書店から発行された、辻和成・著「高橋忠之『料理長自己流』です。(画像㉒)昭和32年に志摩観光ホテルに入社、平成6年12月11日、「常務取締役総支配人兼総料理長」(ゼネラルマネージャー)となるまでの歩みをままとめられています。1996年7月号から97年6月まで「月刊食堂」に連載されたものに大幅加筆された単行本でした。267頁にゼネラルマネージャーの立場から発言されていました。

(画像㉒料理長自己流)
「肉体的な意味での料理人のピークは四五歳くらいのはずです。その先は体力的にはどんどん落ちていく。そのとき料理人たらしめるのは、まさしく管理能力、スタッフ能力以外にないのです。よく、料理人は死ぬまで勉強で、最後まで白衣を着て働き続けるのが料理人だという人がいます。非常に格好のいい言葉ですが、感傷的な言辞で現実をくらませるのは、やってはならないことだと私は思います。‥」
300席のメインダイニングルームを持つホテルのGMだからこその発言だと思いました。
2026.6.27 清八