「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「2022年、コロナ自粛中のエトセトラを報告?します10月篇」

 

 清八でございます。遅くなりました。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。

それでは、10月分を報告させていただきます。

 

■「月刊誌 波 10月号」新潮社
(2022.9.27発行)新刊本

 毎月、楽しみにしているのが、阿川佐和子「やっぱり残るは食欲」。61回目は「レアもの」でした。筆者が10代の頃、料理研究家ホルトハウス房子さんのチーズケーキレシピを知り、頻繁に作っていた。20代の頃、お付き合いのあった近所のご婦人から注文をいただき、しかもご飯付き。快諾して、焼き、当日お持ちしたら、「ところが、伺ってみれば、お客様は一人だけだった。しかも若い男性である。どうも様子が違う。子供たちと過ごすつもりだったのに、私はもっぱらそのお客様の話し相手に駆り出された。しかも、話題はもっぱら私のことである。サワコちゃんはお菓子作りが上手だけど、お料理もお母様の薫陶を受けてお上手なんですよ。そうそう、音楽はどんなものがお好き?今度、この方とクラシックコンサートにいらしたらいいわ。この方はクラシック音楽にとてもお詳しいの。しだいに状況が見えてきた。もしかしてこれはお見合いか?薄々気がついた頃から極度の緊張に襲われた。その晩、ご馳走になった料理がどんなものであったかまったく覚えていない。私が焼いたチーズケーキの出来がどうだったのかの記憶もぷっつり切れている。そしてそのお見合いの顛末は……? ほほほ」(画像①)

 


(画像① 波)

 

■「倉阪鬼一郎著 廻船料理なには屋 帆を上げて」
徳間時代小説文庫(2017.12.15発行)中古本

 大坂の菱垣廻船問屋が江戸で始めた、上方料理の「なには屋」。当時の江戸っ子たちには、なかなか上方料理は受け入れてもらえない。そこで、「こんまき」を「昆布巻き」に言い換えたり、薄口醤油に出汁を工夫したり、新しい献立を創ったりして徐々にお客を増やしていく物語でした。第五章の「大阪蛸づくし」では、蛸を煮る工程で、「京の持ち味、浪花の食い味」という表現が出てくる。登場人物に言わせているのが、「大坂の人は昆布のおだしがよう効いたお料理を好みます。使う昆布も真昆布や。一方、京は上品やけどだしが出にくい利尻昆布で、鰹節との割も三と七くらいやねん」。第六章の「名物淀川丼」では、「深川丼」を上方風にアレンジした「淀川丼」が登場している。そのレシピは、「あくを抜いてから食べやすい長さに切った糸蒟蒻と、薄口醤油とだしで煮た青柳を平たい鍋で炒り、仕上げに葱や青紫蘇などの薬味を加えてみた。汁気をいくらか残して、あつあつのまま飯にかけ、わしわしとほおばる。貝と飯だけでなく、かみ味の違う糸蒟蒻も入れると、びっくりするほどおいしくなった。江戸が深川丼なら、なには屋の名物は淀川丼だ。大坂人らしい洒落心で、名はすぐさま決まった。」なかなかの内容なので、このシリーズ本も愉しみです。(画像②)

 


(画像②廻船料理なには屋 )

 

■「福原俊彦著 家斉の料理番」
宝島社文庫(2015.7.9発行)中古本

 徳川の第11代、徳川家斉は16人の妻妾を持ち、53人の子女(男子26人・女子27人)という子沢山の将軍でした。常に健康に気を配り、特殊な精力食品を摂取していた?とも伝えられているようです。その将軍の食事差配をしている御膳奉行、藤村幸之進の奮闘小説でした。第四章の「静かな花火」に書かれているのが、「以下物」という避けなければならない食材。「生臭物として仏の教えで許されぬもの、格が低いために将軍が食べるに値しないものなどが含まれている。将軍に出す食事では非常に細かい規定が決まっていた。浅草のお忍びの際に幸之進が思い浮かべたものなどほんの一部にすぎない。野菜は葱や大蒜、韮、辣韭、莢豌豆など。魚は鮗、秋刀魚、鰯、鮪、鯰、泥鰌などで、貝は牡蠣、あさり、赤貝。鳥は鶴に雁、鴨以外は駄目。肉は全て許されないが、兎だけは鳥扱いというこの時代の習慣によって許された。果物のことは水菓子と呼ばれ、梨、柿、蜜柑が許された。西瓜、瓜、桃、林檎、李も将軍の前に出されることはあったが、食用ではなくあくまで観賞用とされた。」(画像③)

 


(画像③家斉の料理番)

 

■「クロワッサン No.1079」
マガジンハウス(2022.10.11)新刊本

 今号の特集は、「東京新名所!」で、神楽坂・西荻窪・清澄白河の路地裏の小さなお店、新大久保・三河島・池袋の多国籍料理店、浅草での朝食の店が紹介されていたのだが、86~89頁の「お茶の時間 カフェの現在地」で、高橋美賀さんと山藤陽子さんの対談が掲載されていました。コロナ禍での営業スタイルについて、「HEIGHTS」オーナーの山藤さんの発言から抜粋…「私がひとりで店を営むうえでひとつ大切にしているのは、何かをカテゴライズしないこと。大人になると経験も増えるので、枠にはめてしまうとそこから出るのは思いの外、大変です。自分自身もそういう部分があるので固定観念にとらわれず、心もからだも柔らかくいることが大事だと考えています。ほら、肌が硬いと水分が入っていかないですし、柔らかければ栄養も吸収しやすい。」(画像④)

 


(画像④クロワッサン)

 

 

■「本の雑誌編集部編 手のひら1」
本の雑誌社(2020.3.31発行)中古本

 この本は、「食」とは関係ありません。中村哲医師が2019年12月4日、アフガニスタンの武装勢力に銃撃され死亡したことを受けて緊急出版された書籍の一冊です。実は、11月4日から10日の一週間、浜松市中区田町の「シネマイーラ」さんで「劇場版 荒野に希望の灯をともす」が上映されていました。この作品も、追悼作品の一つでした。私は、戸籍年齢68歳になりますが、これまで知りえた人物の中で、一番好きで、一番尊敬しているのが、この中村哲医師で、2001年にわずかばかりの寄付をしております。この本の表紙のサンダルは、現地のサンダル工房で制作されているハンセン病患者の「足底穿孔症」予防のサンダルです。表紙に、「サンダルと井戸と用水路と」と書かれています。そう、中村医師は1984年にパキスタン・ペシャワールの病院に、ハンセン病治療の主任医師として赴任されました。旧ソ連軍が侵攻したアフガン戦争でアフガニスタンからの難民がペシャワールに流入してきた頃から自前で診療所を開設します。ハンセン病患者の為に、医療用ではないデザインのサンダルを作り、ワークショップを開いて普及させていっ
たそうです。井戸を掘り始めたのは、2000年からで、私はこの資金に寄付させていただきました。当時、井戸を掘り続けた理由は、「井戸が枯渇して川底の泥水を飲んで下痢をする子どもに、抗生物質をあげても水が汚ければ悪循環を断てない。きれいな井戸水があれば、病気は治せなくても予防にはなる。」でした。2002年頃に、現地行政が介入してきて、地下水が枯渇するから「井戸掘りは止めろ」と言われ、「緑の大地計画」という用水路の建設計画を立ち上げます。このドキュメント映画では、福岡県朝倉市にある江戸時代に作られた筑後川の山田堰をモデルにして、「斜め堰」をクナール川に設置している場面が何度も登場しておりました。この本には、当時の経緯もくわしく書かれております。ペシャワール会広報担当理事・福元満治さんが「これからのアフガニスタン、これからのペシャワール会」として書かれているのですが、まとめとして、「以前、『後継者はどうするんですか』と尋ねたことがあります。先生は『私の後継者は用水路だ』と言われました。百年ぐらい経ったアフガニスタンで用水路がちゃんと生きていて、どうもこれは日本人が一緒にやっていたみたいだぞ、曾爺さんが工事をしていたんだという話になったらいいなと思います。(画像⑤、画像⑥)

 


(画像⑤荒野に希望の灯をともす)

 


(画像⑥手のひら1)

 

  10月29日(土)に、昨年の12月20日以来の京都へ行ってきました。一応、ワクチン接種は4回経験しております。奥様のご希望で、京都国立博物館への付き添いです。「特別展 京に生きる文化 茶の湯」(画像⑦)の前期展示が11月6日までで、急遽出かけることになりました。おかげで、古典落語「井戸の茶碗」に登場する茶碗の現物を拝見することが出来ました。

 

 


(画像⑦茶の湯)

 

 ランチは、おうどん屋さんの予定だったんですが、ネット検索で見つけた、タイ・ラオス料理の「キンカーオ」に変更しました。七条大橋の近くにあって鴨川を眺めながらの席も用意されているんです。今回は、初めてなのでランチメニューから、「ヤイ・グリーンカレーセット」(画像⑧)(チキングリーンカレー、ジャスミンライス、ヤムウンセン、トムヤムクンスープ、オカズ、サラダ、デザート)「ヤイ・パッタイセット」(画像⑨)(チキングリーンカレーの代わりに、パッタイ)にしました。辛さは選べるようなのですが、基本ベースを選んだので、逆に、いろいろな香辛料を使えて、美味美味でした。夏の頃は、毎日、満席だったそうです。確かに、暑い日々には、エスニック料理は食欲が出ますからね。

 


(画像⑧ヤイ・グリーンカレーセット)

 


(画像⑨ヤイ・パッタイセット)

 

 ランチの後は、いつもお世話になっている、永楽屋さんの「細辻伊兵衛美術館」(画像⑩)へ立ち寄りました。ここの入館料は、千円なのですが特製の手拭いがチケットとして使われています。新居町の「喜六家清八」と伝えると、いつもメールのやり取りをさせていただいている取締役さんが在席で、初めて対面でご挨拶出来ました。又、学芸員さんの説明で、昭和3年から13年までの当時の手拭い(復刻版ではなく)を拝見出来ました。当然、撮影は出来ませんでしたが、昭和3年の「高瀬舟」、落語「たちきれ線香」に登場する「高瀬の綱引き」の曳き子さんが舟を曳きあげる姿が縦使いの構図で描かれていました。


(画像⑩細辻伊兵衛美術館)

 

 昭和5年の「ハロウヰン」、関東の方は、日本でのハロウィンは1970年代のキディランド発祥説が定番?とされているようですが、京都では1930年代、細辻伊兵衛10世渾身の一枚でした。今回、思い立って京都、しかも「細辻伊兵衛美術館」に立ち寄って、大正解でした。この一枚を生で見られたのは、私の「一生の宝物」となりました。

 

2022.11.19 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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