「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「南三陸の鉄旅 その参」

 清八でございます。おはよござりやす。
 10月13日、14日、15日と、気仙沼、盛岡、一ノ関と廻ってきました。三日目は、ホテルでの朝食後、盛岡駅から9時07分発の新幹線はやぶさ108号で一ノ関駅(画像①)に向かいました。9時44分着だったので急げば、9時50分発の中尊寺行きのバスが運行されていたのですが、一関営業所でチケットを購入しているうちに発車、次の10時45分まで待つことになり、せっかくなので城下町・一関(画像②)を探訪することにしました。この一関市は、ジャズ喫茶「ベイシー」があまりにも有名なのですが、田村藩三万石の城下町で街中に武家屋敷や蔵などが残されているのです。北上川水系の一級河川、磐井川の近くまで歩いてみることにしました。実は、一関には酒のイーハトーヴ「世嬉の一」さん(画像③)があり、敷地内で酒造りと共にクラフトビールもつくられ、蔵元レストラン「せきのいち」で郷土料理のランチがあることがわかり、場所と時間を確認したかったのです。一関駅前発10時45分発を途中のバス停から乗車、中尊寺には11時07分に到着しました。バス停の周りは、もうたくさんの観光客で日本語の話は聞けないくらいの外国の方でした。月見坂を登って、拝観券を買って、金色堂内へ入ったのですが、中国語の案内放送だったので、日本語放送に替わるまで待って、じっくり拝観させていただきました。当然、撮影禁止なので画像はありません。

今回、中尊寺までの短いバス旅で一つ収穫がありました。それは、中尊寺の手前に祇園という地区があるのです。平泉は、奥州藤原氏四代100年間の中心地なのですが、他の地の豪族と同様、京都から島流しにされた先祖が京都を懐かしがり「祇園」という地名にしたのではないでしょうか。私が10年以上通い続けた戸隠村(現在は、長野市です)の隣の鬼無里村には、春日、加茂、東京、西京、二条、三条、四条という地名があります。昔々、京都の豪族とか公家が島流しにされた土地だと思います。

一関へ戻るバスの時間を確認忘れで、あわててバス停に戻ったら目の前をバスが通り過ぎていきました。急遽、タクシーを呼んで平泉駅(画像④)へ東北本線二駅で一ノ関駅へ戻りました。駅から午前中に歩いた地主町までバスで移動、「世嬉の一」さん(画像⑤⑥)に向かいました。13時近くになっていましたが、まだまだランチはOKの時間帯、さっそく注文です。

一関・平泉は伊達藩の頃から餅文化が続いてきました。伊達藩の命で、毎月1日と15日に神様にお餅をお供えして平安無事を祈り、その日を安息日としていたそうです。このレストランには、9種のもちだれとお雑煮がセットになった「果報もち膳」、なんと、300種類の餅料理の中から、あんこ、納豆、ずんだ、沼えび、じゅね(えごま)、ごま、くるみ、きのこおろしの9種類とお雑煮に箸休めの甘酢大根のお膳なんです。今回は、やはり郷土料理の「手切りはっと・もち膳」(画像⑦)と「利き酒セット」(画像⑧)を頼みました。このお膳には、4種の餅と箸休め(画像⑨)がついていました。お酒は、「清酒・世嬉の一」の特別本醸造と特別純米酒と特別純米原酒の3種でした。私は元来、餅よりも酒なのですが、ずんだ餅を肴に日本酒をいただいたのは初めての経験でした。合うものですね。「手切りはっと」ですが、「ひっつみ」とも言われ、小麦粉を水で練って、ねかせてから両手の指先で薄い板状に伸ばし、二寸くらいの大きさにして、季節の野菜の入った醤油汁(画像⑩)に指でつみ入れながら煮ていただく宮城(伊達藩)の日常食でした。これは、家に帰ってから私の愛読書の一つである農文協の「日本の食生活全集④ 聞き書き 宮城の食事」(画像⑪)で確認を致しました。この本は1990年の出版で、私は全巻50巻を購入、現在でも蔵書にしております。まさに「手切り」なのですが、ゲン担ぎで「手延べ」と言うお店もあるようです。この鍋の出汁・醤油、いいです。野菜にもはっとにも、餅にも邪魔にならず、日本酒にも邪魔にならないのです。店内のポスターに敷地内の「いわて蔵ビール」で生産・販売されているクラフトビールの中から「山椒ビール」(画像⑫)がありましたので試飲してみました。季節限定で生産されているそうで、アルコール度数5%のエールビールに一関産の山椒の実を入れたハーブビール、好き嫌いはあると思いますが、おもしろい味になっていました。これも家に帰ってから調べたのですが、この「山椒ビール」、JALの機内誌「skyward」の10月号で紹介されていたんです。そうそう、うちの奥様は「鶏肉の吟醸粕漬けと季節の野菜の陶板焼き膳」(画像⑬)でした。雑穀米御飯に豆腐の粕漬けや(画像⑭)汁物、煮物もついて、なかなかのボリュームのようでした。夜は、前沢牛の酒しゃぶ膳とか陶板焼き膳とか用意されていて、地酒も地ビールもたっぷりと堪能できるようです。

一ノ関駅からの新幹線の時間を再確認、敷地内の酒の直販所で利き酒セット内から一種類を購入して外に出たら、何と蔵の説明パネル(画像⑮)がありました。昭和24年から27年まで新星劇場という映画館で、中学生だった井上ひさしさんがバイトしていた場所なのです。私は、1972年の「モッキンポット師の後始末」からのファンで、以来、初版本は全部購入、蔵書の一部となっております。いろいろなエッセイに書かれていた場所に来ていたのです。

その後、腹ごなしに近くの旧田沼家武家住宅を見学、案内人さんの丁寧な説明を伺いました。江戸時代後期に一関藩家老職を勤めた沼田家の住宅で、2003年に全面解体修復工事を終えられたとのことでした。城下町・一関の雰囲気を感じさせてくれる一画です。

駅までは、またバスで戻り、15時50分のやまびこ52号で東京へ、東京駅で駅弁とビールを購入して、また新幹線ひかり号で浜松、そして新居町まで戻ってまいりました。充実した東北支援?旅行でした。

前二回のレポートでは書き忘れた事がございます。三年前から東北へ定期的に旅行することにしました。復興の地を見学させていただきながら、地元の居酒屋さんで地産地消の肴と地酒を愉しみ、現地の情報を直接知りたいと思ったからです。お店探しは、ネットからですがグルメサイトではなく、元々、その地元で発信を続けられてきたミニコミ誌やミニFM、地元の民放ラジオから情報を入手してきました。これまで殆どハズレはありませんでした。本当に幸運だと思います。

それぞれの地で長く地元のお客さん、遠方からのリピーターさんたちに支援されているお店には共通点がありました。オーナーシェフまたは板前さんたちが余計なパートやバイトさんたちを使わず、プロだけで日々営まれておりました。定期的に休日を利用して、東京や京都、大阪などに出かけ、新しい調理方法や素材・調味料・香辛料などを勉強されていました。お店をオープンされた時から常に地産地消を考えてメニューを決められ、特別な野菜や果物、魚介類、肉を扱ってくれている方々と頻繁に直接会話をされていました。借金が返済できなくなったり赤字になったら継続はできないのですが、初めから原価ありき、利益率ありき、定番メニューのみでいいと、固定されてしまったお店はありませんでした。

本当に尊敬致します。ありがとがんした。
スタンディング・オベージョン致します。

また、来年、伺います。

 

画像① 画像② 画像③
     
画像④ 画像⑤ 画像⑥
     
画像⑦ 画像⑧ 画像⑨
     
画像⑩ 画像⑪ 画像⑫
     
画像⑬ 画像⑭ 画像⑮

 

いちのせき観光NAVI
http://www.ichitabi.jp

世嬉の一
http://www.sekinoichi.co.jp/

一関の餅
https://travel.spot-app.jp/ichinoseki_mochi_yano/

 

2018.11.6 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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