清八でございます。2020年の「コロナ禍」までは、このようなタイトルで書いておりました。ご興味がありましたら、バックナンバーを読んでみて下さい。不特定多数が集まるような場所への出入り、旅行、外出を控えるような状況になって、それまでのようなコラムを書けなくなり「食」に関する書籍・漫画・DVDなど自宅で読んだり観たりした内容になり、6年続いてしまいました。久しぶりに書けました。
3月10日で戸籍年齢72歳になりました。65歳で前職の会社を2度目の定年退職した時は、これまで買い求めておいた落語・演芸のレコード・カセットテープの音源をデジタル化する作業やDVD化されなかった映画をLDとVHSで観る事に没頭して、映画館と落語会に通って、新しい飲食店や食材屋さんを見つける夢の生活を思い描いておりました。諸般の事情により、2020年9月から「NPO法人新居まちネット」と元・芸妓置屋「小松楼まちづくり交流館」での展示やイベントに関わるようになりました。私の趣味・道楽の蒐集品から「鉄道ジオラマ」「宿場町ジオラマ」「手ぬぐい」「古地図」「川瀬巴水の版画」「戦前の映画ポスター」「戦前の広告チラシ」などを定期的に展示させていただきました。3年前からは現代アートの作家さんとのお付き合いが始まりました。4年前の6月から同NPOの理事の一人に加わり、2年前の6月から理事長に推挙されお受けして、現在に至っております。大学卒業後の就職難時代のバイト職から数えたら、現在は5度目の職歴になります。町内で年3回の地域寄席を44年間開催でき、市外県外への寄席・落語会に年6〜8回は出掛け、自身がお客様の前で演じるのは年10回、そして浜松市内と豊橋市内の映画館で年60本は観ております。定期購読と中古本を含めて年90冊は購入して読んでおります。パート職とはいえ、これまでで一番忙しい毎日を送っております。ありがたいことでございます。
さて、3月1日(日)は小松楼内での「ひなまつり茶会」のお手伝いでした。この「小松楼まちづくり交流館」は元・芸妓置屋で約110年位前の総2階の木造建築です。平成22年に国の登録有形文化財に登録されています。毎年2月上旬から3月中旬まで昭和初期に名古屋市内の人形店で作られた「御殿飾り」を展示します。「御殿」は「京都御所」を模しているのですが、何と屋根に「金のしゃちほこ」がつけられている珍品です。(画像①)

(画像①ひなまつり茶会)
当館内で月2回開催している「お茶講座」のお仲間による立礼によるお茶会を春と秋の年2回開催しているのです。この日のお客様は50名様でした。歩いて数分の範囲内に2軒の和菓子屋さんがあり、お稽古の時も含めて利用させていただいております。(画像②、③)


(画像②③お茶講座)
3月7日(土)は、浜松市天竜区山東の「手打ちそば ハナレ」に行くことが出来ました。(画像④、⑤)前々から気になってはいたのですが、なかなか予約が取れないお店の一つです。本果寺寄席のスタッフがこのお店のご常連だとわかり10日前に11時を予約でき、連れていっていただけました。平日は11時30分から14時(ラストオーダー)、土日祝日は予約制の二部入替制で11時と13時30分とのことでした。この日は運転手がおりましたので、だし巻き玉子で美味しい日本酒をいただきなが待つことができました。(画像⑥、⑦)もりそばをいただき、贅沢にも、蕎麦ぜんざいまでのランチでした。美味しうございました。(⑧、⑨)


(画像④⑤手打ちそば ハナレ)


(画像⑥⑦だし巻き玉子で美味しい日本酒を)


(画像⑧⑨もりそば、蕎麦ぜんざい)
私は、今から45年前から32年前ぐらいの期間、長野県戸隠村(2005年から長野市)に定期的に通っておりました。冬はゲレンデスキー、春はクロスカントリースキー、夏はキャンプ、初夏と秋は緑の木々の間を歩いて、馴染になった喫茶店でビールを飲んだり、スイーツをいただいたりお蕎麦を食べたりと、村内での滞在を楽しんでいました。当時はゴールデンウィークでも観光客は少なかったので、本当に静かで村内どこでもバードウォッチングが可能な高原でした。当初、連れて行っていただいた頃は、村内にはお蕎麦屋さんと喫茶店が数店という状態で、お蕎麦が好きでない方には長期滞在は難しかったと思い出します。私も奥様も蕎麦は大好きだったので、村内のお店以外に鬼無村町、信濃町(黒姫)、妙高高原まで足を伸ばして食していました。この日の「ハナレ」のお蕎麦と出汁、2009年8月まで上水内郡信濃村野尻の地で営業されていた「ふじおか」さんを久しぶり思い出しました。石臼挽き十割蕎麦(黒姫産玄蕎麦)で、自家製の季節の野菜料理と漬物で日本酒を嗜みながらいただいている、ゆったりした時間に打たれたお蕎麦、「これぞ!蕎麦」という味わいでした。
3月9日(月)は、隔月一回は食べに通っている舞阪の「浅草軒分店」の中華蕎麦と餃子を食べに行きました。いつもは餃子5ヶ+中華蕎麦(並み)のセットにするんだけど、諸般の事情で麺の量が少なくなってきたので、中華蕎麦(大)にしてみました。(画像⑩)このお店はライスが無いので肉体労働の方には(大)でないと物足りない?でしょうね。店内は広くはないので「コロナ禍」には座席数を減らすのに苦労されていたのを思い出します。抗ウィルス抗菌のVB使用のシルクおしぼりを提供されていたのは、ご立派でしたよ。

(画像⑩浅草軒分店)
3月12日(木)は、久しぶりの豊橋市フラスカティさんでの豪華ランチでした。実は、私の誕生日が3月10日、奥様の生誕記念日が3月28日のため合同誕生会としました。この日は、お店のInstagramで見ていた「レモンのスパゲティ、魚介とボッタルガ風味」(画像⑪)、そして春の定番「ホワイトアスパラガスと生ハム」(画像⑫)、そしてなんと、なんと「天然帆立と蕪のソテー」(画像⑬)「トリッパの煮込み ローマ風」(画像⑭)で締めました。もちろん、赤ワインはデキャンターで用意していただきました。こんな太い国産のホワイトアスパラガス、こんな大きな天然帆立は初めてでした。デザートは、どうしようかと迷っていたらシェフから誕生日プレゼントのスゥイーツで届きました。「Buoncompleanno!」と書かれてありました。(画像⑮)大満足のランチ、ありがとうございました。

(画像⑪レモンのスパゲティ 魚介とボッタルガ風味)

(画像⑫ホワイトアスパラガスと生ハム)

(画像⑬天然帆立と蕪のソテー)

(画像⑭トリッパの煮込み ローマ風)

(画像⑮Buoncompleanno!)
3月22日(日)の午後は、豊橋市まちなか図書館に居りました。「対談 館長がいま会いたいひと」の最終会で、ゲストは「やしの実FM」のよっちゃんと、モエモエでした。(画像⑯)

(画像⑯対談 館長がいま会いたいひと)
3月29日(日)は、「別冊ちりとてちん」に掲載してきました第104回本果寺寄席「第2回瀧川鯉三郎」の会でした。当日含めて60名様で大団円でした。演目は、清八「犬の目」鯉三郎「蛙茶番」「勘定板」そして「ぼんぼん唄」。44年間での初演目が「勘定板」「ぼんぼん唄」でした。(画像⑰)5月31日(日)「八代目柳亭小燕枝の会」のご予約を開始したところ、25名様ありました。ありがとうございました。当日配布のチラシ「清八のひとりごと」に22日の事を書きました。一部、22日と重複内容になります。

(画像⑰第2回瀧川鯉三郎)
3月22日午後、「豊橋まちなか図書館」に居りました。この日は「対談 館長が会いたい人」の最終日でした。初代館長の種田澪(おいだみお)さんが、この3月末に退任、「対談」の後に「お別れ会」でした。(画像⑱)
種田館長は、元NHKのディレクターで「ドキュメント72時間」「クローズアップ現代+」などの番組を手掛けられた方です。私は、この図書館の構想がスタートした頃(約13年前)から興味を持ち、豊橋駅周辺での説明会やイベントに足しげく通っておりました。開館後は、年に6~7回は通い情報収集させていただきました。これまで「ちりとてちん」に取り上げた料理・食材関係の書籍は、この図書館内で見つけて、古書店で探して購入したものが大半でした。本当に素晴らしい図書館の一つになりました。この図書館は、構想の段階から館内での飲食やお喋りを認めようというコンセプトでした。当然、禁止ゾーンは設けてあります。開館当初、周辺の一人暮らしのお年寄りたちの溜まり場になりました。冷暖房完備で座り心地のいいソファがいくつもあるからです。家からの弁当を持ち込み、お昼になると包んである新聞紙をガサガサして食事し、その新聞紙をまたガサガサして丸めて、ゴミとして置いて帰っていました。図書館側は、この方たちを追い出しませんでした。3ケ月程たった頃です。この方たちが弁当包みの新聞紙を静かにたたみ、持ち帰るようになっていました。また、しばらくたつと、館内の新聞や雑誌を黙って読むように変わっていったのです。種田館長の新しい図書館への思いが伝わったのだと、私は理解しております。
対談のお一人、「やしの実FM」パーソナリティの「よっちゃん」が33年前、名古屋(尾張)から豊橋(東三河)に行くと、お仲間に伝えたら「大丈夫?豊橋は、京都だからね!」と言われたエピソードを喋ってくれました。尾張よりも排他的?田舎?というイメージだったようです。この発言で、よ~く、わかりました。豊橋は「商業」の街で「資本主義」の街なのだと、理解出来ました。この日の対談、この発言だけで、豊橋・東三河に対しての、いろいろな思いが次から次へと湧き上がっております。たいへん有意義な半日であったと喜んでおります。

(画像⑱種田館長)
この落語会の打上げに「サクラビール」を出しました。(画像⑲、⑳)3月初めのAmazonの新生活セールで、350㎖×24本を購入してみました。大正から昭和初期まで北九州市門司地区の帝国麦酒工場で製造されていたそうです。サッポロビールがお花見のタイミングで復刻製造されました。アレンジしてあるとはいえ、私がこれまで飲んできた国産ビールの最上位でした。(あくまでも個人の感想ですが‥)
いろいろな説があるのですが、明治以降、各地で小さなビール会社・醸造所ができていきます。市場の争奪や原材料の安定供給など再編が続きます。背景としては、国家が酒税で戦費をまかなう目的で当時の大手ビール会社に働きかけ、大合併を実施、地方の小さな会社は吸収合併、廃業、となっていったようです。サッポロ・エビス・アサヒなどのブランドを抱える大企業が大日本麦酒という会社になりました。戦後、進駐軍によって分割され、現在のサッポロ・アサヒ・キリンに至るということでした。もし、各会社が戦前のレシピを保有されているとしたら、今年の10月以降はビール系飲料の税率が一本化されるので、こうした戦前のブランド・ビールの復興が続くと嬉しいです。期待しております。


(画像⑲⑳サクラビール)
2026.4.28 清八