「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「2023年、コロナ自粛中のエトセトラを報告?します 1月篇」

 

 清八でございます。遅くなりました。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。

それでは、1月分を報告させていただきます。

 

■「信濃川日出夫著 山と食欲と私15」
新潮社(2022.2.15)中古漫画本

 全国3000の書店員が選んだ「2016年コレ読んで漫画RANKING」で、第2位となった「単独登山女子」が展開する「行動食」「山食料理」の世界。その15巻を入手出来ました。今回のメニューは、「フキのカラメル煮弁当」「天然鮎の塩焼きとフライ」「食べられる食器」「山賊焼き」「賞味期限切れの食材」「ポテチーグラタン」「燻製牡蠣の缶詰の混ぜご飯」「キウイと生ハムのサラダ」「カマンベールチーズにミニトマトと余りのサラミを爪楊枝で刺して」「リンゴとベーコンの炊き込みご飯」「合戦小屋のスイカ」「あんかけ肉カステラ」「もやしと魚肉ソーセージの炒め物おにぎり」でした。第160話の「フキのカラメル弁当」では、登山道で野生動物の糞を見つけてしまい、熊鈴をザックから外し、手で振って下山するという場面が描かれていました。私も、何度か熊鈴をザックに着けて登山した経験があります。バスや電車の中で、二つも三つもザックに着けていて、駅の階段の上り下りでもうるさいくらい鳴っていても取り外さない方がいます。JRの「さわやかウォーク」でも山中でないのに、熊鈴が着けられた状態で、走って「リンリンリーン、チリリーン」と鳴らしている方もいます。一度、気になると耳から離れませんね。(画像①)

 


(画像① 山と食欲と私)

 

■「土田美登世著 やきとりと日本人」
光文社新書(2014.12.15)中古本

 著者は、「やきとり誕生の歴史」から書かれているが、資料がほとんど見つからなかった為、「焼いたとり」という視点から「古事記」から始められていました。今でいう、野鳥、ジビエを焼いて食した記述があったからです。13~14頁に書かれた「本書に登場するやきとり、とり料理に関する出来事の年表」を見ると、確かに資料が見つからなかった事が理解出来ます。32~35頁に「うなぎの蒲焼きとやきとりの関係」が書かれていました。「当時の江戸は、単身男性の比率が高く、簡便な食事が求められたという。特に1657年(明暦3)年の明暦の大火以降、復興のために大量の労働人口が江戸に押し寄せるようになると、外食の需要は急速に高まり、さまざまな形態の飲食店が出現した。なかでも、小さい規模では比較的簡単に営業できる移動屋台が多かったようだ。また、蒲焼きのような火を使う料理の場合、火事を警戒して、屋台ではない店舗でも右図のように建物の中ではなく外に焼き台を作ることも多かった。」34~35頁には「みりんは安土桃山時代に中国から渡来したもので、蜜のように甘いことから蜜醂酒、美醂酒とも書いた。調味料ではあるが、原料のもち米や麹、焼酎などを発酵させたお酒でもある。江戸時代には甘い高級酒として親しまれるとともに、調味料としても使われた。醤油の相棒として、甘辛い味を好む江戸っ子の舌を満足させた。濃口醤油ちみりんを合わせたたれにつけ、炭で焼くという調理法によって、江戸で一気に盛り上がった料理が鰻の蒲焼きであろう。」
 炭を詰めた焼き台、たれのベースとなる醤油、みりん、串、など「蒲焼き」と「やきとり」、当時のファーストフードとしての共通項が多いとの事でした。(画像②)

 


(画像②やきとりと日本人 )

 

■「柏井壽著 京都しあわせ食堂」
PHP(2016.9.23)中古本

 「京都しあわせ倶楽部」編集主任の柏井さんが書かれた、2015年当時の京都市内の「普段使いのうどん屋さんから舞妓ちゃん御用達の洋食堂まで」、絶対に美味しい食堂が47軒、紹介されています。3~5頁の「はじめに」の一文です。「言うまでもなく、今の〈しょくどう〉は〈じきどう〉が変化したものである。明治以降、教育制度が急速に充実し、故郷を離れ、日本各地の高校、大学で学ぶ若人が増え、そのために寄宿舎や学寮が建てられ、学生たちは寝食を共にする。そしてそこで食事する場所を、寺方の〈じきどう〉に倣って、〈しょくどう〉と名付けたのである。すなわち本来、〈食堂〉というものは、研鑽を積む仲間が食を共にする場所だった。更に時代は移り、一般の飲食店も、この食堂という言葉を使い始め、大衆食堂、駅前食堂と変遷してきた。寺から学校、一般へと移り変わる中で〈じき〉が〈しょく〉になり、本来の精神をどこかへ置いてきてしまったのが、今の〈食〉の姿。」
 ずいぶん厳しい「はじめに」が書かれていますが、紹介されているのは、例えば、三条京阪駅近くの「篠田屋」の「皿盛」と「中華そば」。三条寺町の「常盤」の「きつねうどん」「ビフかつ丼」。今出川通り、京大近くの「玉蘭」の「やきそば定食」「おでん定食」「うどん定食」。京都府庁近くの「洋食レストランポパイ」の「ビフカツ定食」「洋風弁当」「とんかつ定食」。北王子駅近くの「グリルはせがわ」の「ハンバーグ」「コロッケ」「魚フライ」の定食。北王子駅近くの中華「白雲」の「からしそば」「やきそば」「やきめし」。東山三条の「マルシン飯店」の「チャンポン」「天津飯」「カレーチャーハン」。などなど、安くて美味しいお店でした。(画像③)

 


(画像③京都しあわせ食堂)

 

■「東海林さだお著 自炊大好き」
だいわ文庫(2022.9.15)中古本

 自分一人だけの自炊飯と実験的な食べ方、オリジナルレシピを実践された「食」の一冊です。例えば、25~30頁の「オイルサーディン丼」のレシピです。「材料、オイ缶。ゆで卵の白身のみじん切り。玉ねぎみじん切り。カイワレ菜の葉っぱのとこ。かりかり系の梅干し(赤)。料理法は次のごとし。①まずオイ缶を開け、缶のまま火にかける。ガス火の上に魚焼きの網をのせてその上にのせるとよい。②丼に熱いゴハンを盛り、その上にゆで卵の白身のみじん切りを厚さ五ミリほどに敷く。③玉根木のみじん切りを同様に敷く。④その上から、熱いオイ缶をヤケドしないように持ちあげ、丼の上で逆さにしてバカッといっぺんにあける。⑤カイワレ菜と梅干しのみじん切りをパラパラとありかける。以上で完成なのだが、なにしろこの丼は、梅干しの塩気で食べる丼なので、梅干しの塩気にもよるが五個以上は要る。」鰯と梅干しという組み合わせは相性が良いと思います。

 180~186頁の「焼きそばにちょい足し」は、「ペヤングソース焼きそば」のトッピングは何がいいだろうか?というコラムでした。ネット上には、「マヨネーズ」「チーズ」「パセリ」「ポテトチップ」「天かす」「魚肉ソーセージ」「目玉焼き」「納豆」「缶詰のコーン」「サバ缶」「ツナ缶」などがありますが、東海林氏の「焼きそばちょい足し十戒」は、「その1混ぜるだけで煮炊きを禁ず。その2レンジでチンも禁ず。その3厨房に入るを禁ず(その場で混ぜるだけ)。その4包丁の使用を禁ず。」こうして、スーパー店内が見つけたものは、何と、「かっぱえびせん」でした。なお、このコラムが書かれたのは、あの「ペヤングやきそば異物混入事件の直後でしたとさ。(画像④)

 


(画像④自炊大好き)

 

 

■「東海林さだお著 B級グルメで世界一周」
ちくま文庫(2021.1.10)中古本

 どうも、何かで読んだ覚えがあったので、巻末を読んだら「丸かじりシリーズ」から世界の名物料理をピックアップした文庫オリジナル企画本であった。それでも忘れていたコラムがたくさんあって楽しかったです。41~46頁の「餃子といえどもフルコース」。1994年当時は、宇都宮グランドホテル内の「北京」が日本で唯一の「餃子フルコース」を出してくれる店だったらしい。そのお店で「週刊朝日」特派記者N氏との試食体験でした。
蒸し餃子のオードブル②フカヒレの餃子③エビ餃子チリソース④魚餃子の豆豉ソース⑤ほたて餃子の甘酢ソース⑥牛肉の水餃子⑦イチゴ入り揚げ餃子」で、当時の料金は、6000円。
 私は、もう30年位前ですが、中国の大連に仕事で行った時、現地のレストランに連れていかれました。現地のガイドに「日本人大好きな焼き餃子、あるよ」と言われて頼んだら、何と日本から輸入されていた業務用の冷凍餃子だった記憶があります。
 ところで、2月7日に、「餃子購入額 浜松市日本一ならず3位転落」がニュースになっておりました。浜松市は「冷凍餃子の無人販売は統計の統計にならないので」と言っておりましたが、はたして、それだけの理由なのでしょうか?2月10日に中日新聞さんからアンケート依頼があり、「浜松餃子に、一言」という質問がありました。たいへん失礼でしたが、このように書かせていただきました。浜松市内の餃子屋さんには、「焼き餃子」「蒸し餃子」「水餃子」が提供出来るお店はあるのでしょうか?」です。実は、私の実家の父は若い頃、兵役で中国東北部に行かされていて、餃子や包子、あんかけ麺など覚えて帰国、子供の頃、浜松や豊橋の中華料理店に連れていってくれたり、自宅で作ってくれた記憶があります。その時の餃子は、「蒸し餃子」だったと思います。父が亡くなった後、懐かしくなって食べ歩いたのは、豊橋市内の餃子店か中華料理店でした。「焼き」「蒸し」「水」のメニューがあったからです。好き嫌いは別にして、こうした商品開発は、如何なものでしょうか?(画像⑤)

 


(画像⑤B級グルメで世界一周)

 

 

■「内田榮一著 浅草寿司屋ばなし」
ちくま文庫(1990.8.28)中古本

 東京・浅草弁天山美家古の四代目主人がしみじみと綴った職人ばなしでした。
 私は、もう35年以上前ですが、「新しい芸能研究室」の本で知って、どうしても食したくなり、二度伺ったことがありました。創業1866年(慶応2年)の江戸前寿司の老舗です。この江戸前寿司は、冷蔵庫の無かった時代、安全に美味しく食べられるよう、煮る、蒸す、漬け、昆布〆、酢洗いなど、下ごしらえをし生ではないネタをつかったお寿司です、現在は、五代目の内田正さんですが、当時は、この本の著者四代目に握っていただけたと記憶しております。当時から、おまかせのコースで、一貫ずつ出され、どちらかというとお酒を飲みながらではなく、良いお茶を飲みながら、味わいます。

 176~179頁に、「海苔巻」の事が書かれていました。「概念的にのり巻といえば、海苔に飯を敷いて、干瓢の煮たのや、生野菜、漬物等を中心にして巻いたもののことである。もっとも、地方によって巻き込むものにいろいろ特色のあるものもある。とにかく一般的に手軽く出来るたべ物とされている。しかしそれを専門の一つとして取り扱っている私達にとって、海苔巻は、特にむつかしい仕事である。海苔巻には三つの条件がある。色、香、音がそれで、この三つの条件が、海苔巻の生命である。その三つの条件のうち『色』とは、海苔そのものの豊かな艶やかさを言い、『香』とは、海苔の持つ海苔独特の高雅な香りのことであり、『音』とは出来上がったのり巻に歯を加えた時の「バリッ!」という歯切れの良い音を指すのである。この三つの特長の揃ったものを、最上の海苔巻としている。」
 あぁ、もう一度、食しに行きたいです。(画像⑥)

 


(画像⑥浅草寿司屋ばなし)

 

 1月28日、名古屋市丸の内の「ひまわりホール」に出かけてきました。三年ぶりの北村想作品、「avecビーズ」の公演「港町memorialⅡ~ラビローニへ~」を生で観るためでした。この三年間の「コロナ禍」により、一昨年は「配信」、昨年は「中止」、そして今年は有観客で上演されたのですが、今回の公演で20年間の活動に終止符を打たれました。私は、前身の「プロジェクト・ナビ」時代からのファンで、北村想の演劇を観るため、36年間、名古屋に通い続けた事になります。今回は、2021年3月に、帆草とうかによる詩集「ラビローニへ・Ⅰ」と「戦争は女の顔をしていない」をリサーチしてリミックスして書かれた脚本なんだけど、ウクライナへのロシア侵攻?が含まれていました。北村想、恐るべしです。彼は、戸籍年齢70歳なので、自身の脚本には子供の頃の歌謡曲やテレビドラマの主題歌が登場します。今回は、1959年のテレビ時代劇「風小僧・第二部のテーマソング」が終盤に使われています。そして、最後のセリフは「この世の悪が、吹き飛ばされるといいなあ。」でした。たったのこの一言で、「コロナ禍」も「ウクライナ」も「旧・統一教会」も「五輪汚職・談合」も「政治家の失言」も「特殊詐欺」も、イメージできますよね。(画像⑦⑧)

 


(画像⑦港町memorialⅡ)

 


(画像⑧港町memorialⅡ)

 

 

 そして、この夜は、2021月11日以来、名古屋駅前の「柳橋市場」場内の4坪の天ぷら屋「天ぷらとワイン小島・本店」に立ち寄ることが出来ました。このお店については、「ちりとてちん」のバックナンバーNo.142に書かせていただきました。2015年から年に二、三回は通いました。コロナ禍の前ですが。イタリアンシェフの創作天ぷらにサッポロ赤星瓶ビールとワインの市場内の屋台です。とにかく、コスパがよく、他の天ぷら屋さんには無いメニューがあって愉しめるのです。例えば、「カマンベールチーズの天ぷら」(画像⑨)とか、「梅の天ぷら」(画像⑩)、「アスパラの天ぷら・パルミジャーノレッジャーノかけ」(画像⑪)「ちくわの天ぷら」(画像⑫)などなど、他の飲食店と同様、材料や光熱水費の分だけ単価はUPしてましたが、それでも通い続ける価値があるお店です。

 

 


(画像⑪カマンベールチーズの天ぷら)


 


(画像⑫梅の天ぷら)

 


(画像⑬アスパラの天ぷら・パルミジャーノレッジャーノかけ)

 


(画像⑭ちくわの天ぷら)

 

 これからは、演劇以外の名古屋行きを考えなければなりません。

 

 

2023.2.15 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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