「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「2022年、コロナ自粛中のエトセトラを報告?します11月篇」

 

 清八でございます。遅くなりました。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。

それでは、11月分を報告させていただきます。

 

■「うまい本2023(LMAGA MOOK)」
京阪神エルマガジン社(2022.11.8発行)新刊本

  京阪神地区のグルメ雑誌「ミーツ・リージョナル」の別冊で、オープンから2年以内の大阪・京都・神戸の話題店をピックアップ、各お店のうまい400皿を紹介してくれています。中華料理、フレンチ、イタリアン、串揚げ、日本料理のジャンルで分けてありました。店名も画像も掲載出来ませんが、やはり「食い倒れ」の大阪、皮に尾の身、くりから(背肉)など、鰻を部位ごとに提供している鰻居酒屋さんがありました。しかも部位によって、関東・関西の焼き方に変えるのだそうです。浜松で鰻を提供されているお店にはたいへん失礼なのですが、鰻が高騰してから個人的にずっと思っていました。東京や大阪では、鰻を部位によって提供しているお店があるのに、どうして浜松では?「ミンチ」にしても「つくね」にしても提供出来るのに?そうすれば、客単も変えられて、お酒もワインでもウイスキーにでも合わせられるのに?

 私は、湖西市新居町で生まれ暮らしております。子供の頃が国内養殖鰻の全盛期?で、形の悪い鰻はほとんどタダのような金額で購入でき、天然鰻もかなりの頻度で食することが出来ました。「鰻の蒲焼」はお鍋の中で人数分を煮たので鍋から食卓に出てきました。白焼きは、一本をニンニクかわさび醤油で食しておりました。ご飯は、タレだけで丼飯でした。

 別の話です。京都の街中華については、これまでに何回か書かせていただきました。その京都では、カフェ感覚のワイン酒場とか町家を再利用したアナログなビストロが増えているようです。お店側もご夫婦だけで営まれていて客単は安く設定しているのに、雰囲気で長居してしまって、あれもこれも?という状態。やはり、京都は究極のサービス業の都市ですからね。(画像①)

 


(画像① うまい本2023)

 

■「水上勉著 土を喰う日々」
新潮文庫(2022.9.5発行)中古本

 11月17日、ユナイテッドシネマ豊橋で、映画「土を喰らう十二ヶ月」を観てきました。この本は、その日に古本屋さんで購入でき、一気に読みました。映画作品の方は、水上勉の料理エッセイから中江裕司監督が物語を紡ぎだし、創作された内容でした。料理研究家の土井善晴さんがエッセイのレシピを具現化されていました。土井さんは、ご自身のコラムでは「作家さんのレシピとは異なっています」と現わされていましたが、大きなスクリーンに映し出される、調理過程や一皿になると、そうなんだろう、と思います。映画のチラシ裏面によれば、撮影前に開墾し、実際にスタッフが畑で育て収穫した食材を使用。四季を撮るために日本映画では異例の一年六か月にわたる撮影を敢行した、とありました。登場人物もロケ地も無駄がなく、いい作品で、沢田研二さんの代表作として語られていく作品だと思いました。

 原作文庫の247~248頁に、水上勉さんが少年時代にお寺での修行中、食前に唱えた「五観の偈」という経の一つ「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」を解釈された一文がありました。「一、この食べ物を料理した人たちの苦労を思い、その食をいただけるありがたさを先ず感謝せねばならぬ。それに、この食物がいま、自分の口にいたるまで、いろいろな人の世話になり、手数もかかっているのだから、一粒の無駄にできぬ。」

 私は、40年程前に、一度だけ水上先生にお目にかかった事があります。私が、生まれ暮らしている湖西市新居町(当時は、合併前の新居町でした)で、42年前に「新居・よせあつめの会」というイベントグループを立ち上げ、1981年11月18日に新劇の役者・坂本長利さんの一人芝居「土佐源氏」を新居町の本果寺・本堂で上演させていただきました。私のルーツです。翌年、当時、東京・渋谷にあった水上勉先生の演劇「スタジオ・ダック」に、一人芝居「越前竹人形」を観に行きました。終演後に、ロビーでお弟子さんに声をかけられ、楽屋にお邪魔すると、坂本さんの隣に原作者の水上先生がおられ、紹介していただけました。その時に、新居での上演許可を先生からいただき、その年の11月27日に、「越前竹人形」を本堂で上演していただけました。その後、一人芝居「五番町夕霧楼」の企画もあったのですが、実現は出来ませんでした。(画像②)

 


(画像②土を喰う日々 )

 

■「図書2022年12月号」
岩波書店(2022.12.1発行)新刊本

 ご存じ、岩波書店が発行している月刊雑誌で、出版社PR誌です。私の蔵書の中には、岩波新書が約400冊ありますので、この月刊雑誌も何十年も読ませていただいております。さて、今号には6~9頁に演芸写真家の橘蓮二さんが「落語家と噺家―演芸写真家が見た立川談志と柳家小三治―」というエッセイを掲載されています。橘さんは、両師匠の写真集はもちろん、多くの噺家・芸人さんたちの高座、そして楽屋からのアプローチ画像を多く撮影されている方です。この「ちりとてちん」では、飲食関係のみでなく私の愛好する落語、噺家の世界についても書かせていただいておりますので、今回、この一冊を取り上げました。9頁に書かれている内容です。「年齢を重ねていけば嫌というほど自覚することだが、人は老いて必ずしも賢くなるわけでも善良になるわけでもない。それでも落語の国に住む、清濁併せ呑む登場人物たちの、右往左往しながらも懸命に生きる姿に触れることができたなら、迷い甲斐のある人生の中にも生きるヒントが得られるかもしれない。長引くコロナ稼による閉塞感と、分断を煽る不穏な空気。気持ちの均衡が崩れそうになったときこそ他者を許容する”落語的発想”は必要になる。」よく書いてくれました。私は今、戸籍年齢68歳です。記憶の中では、58年前に桂米朝師の落語に出会い、落語愛好者の一人として、様々な経験・体験をさせていただき、この「落語的発想」を感じられる人間にしていただけた事に感謝です。(画像③)

 


(画像③図書)

 

■「暮しの手帖 21号」
暮しの手帖社 (2022.11.25)新刊本

 今号の特集の一つは、22~33頁「食堂いちじく」の屋号で活動する料理家、尾崎史江さんの精進料理」でした。「百合根とせりのかき揚げ」「高野豆腐のふるふる煮」「高野豆腐の黒米海苔巻き」「車麩のカツレツ」「車麩の治部煮」「洋風まなすいなり」のレシピが紹介されていました。24頁に、「精進料理は、動物性の食材を使わず、植物性の大豆製品やグルテンを使ってたんぱく質のおかずを作ります。また、五葷といわれるねぎ類(長ねぎ、らっきょう、にんにく、玉ねぎ、ニラなど)を使わずに調理するので、精進料理というと、味がうすくて淡白なイメージを持つ方が多いかもしれません。でも、油とダシを上手に使うと、満足感のある味わいに仕上がるんですよ。」実は私、実は高校を卒業するまで、肉料理は食べられない体質?でして、小学校、中学校の給食のおかずは、かなり残してました。特に、カレールーに入っていた豚肉の脂身が無理でした。中学の修学旅行で京都に行った時、旅館の夕食の一品に「高野豆腐の煮いたん」があって、ほっとしたのを覚えています。大学生になって、浜松市内の天狗連の会「落天会」素人落語家のサークル)と出会い、最年少でお仲間に入れていただきました。毎月第三木曜日の例会(発表会)の会場が、浜松市中区肴町にあった「藤屋蕎麦店」の三階お座敷でした。その藤屋のご主人、お席亭が終演後の打ち上げだったり、夜の営業前の時間帯に「学生で、お金が無くてたいへんだろう」と心配してくれて、いろいろ食べさせてくれました。その一品が豚肉の入った「五目中華」だったり「かつ丼」でした。最初、たぶん食べられないかもしれない、と伝えると、「これは食べられるから、食べてごらん」と勧められて食しました。何と、完食!でした。何で、今まで無理だったのかわかりませんが、それから普通に食べられるようになりました。この藤屋さんは、現在の「天竜そばニュー藤屋」さんで、ご主人は、会長職として今年9月27日に89歳でお亡くなりになりました。48年間のお付き合いでした。実は、8年前から一昨年2月まで、浜松市内の各協働センターで講師として、講談と落語の会でご一緒しておりました。そのご主人の芸名は、素人の講談師として「三流斎芳緑」(さんりゅうさい ほうろく)と名乗っておりました。お通夜に伺いましたが、その「芳緑」が戒名に入っていて、ご子息に思わず頭を下げました。本当に長い間、お世話になり、ありがとうございました。(画像④)

 


(画像④暮しの手帖)

 

 

ところで、11月20日(日)に第94回本果寺寄席「八代目柳亭小燕枝の会」を開催出来ました。当初の定員68名に対し、大人68名、小学生3名の「満員御礼」でした。当日のご挨拶文から再掲致します。

 コロナ禍、コロナ自粛の影響で、30年以上続けてこられた全国の地域寄席が「休会」「廃会」「解散」と悲惨な三年間になってしまいました。当本果寺寄席は、二回の「中止」はありましたが、一昨年は2回、昨年は3回、そして今年も3回開催出来ました。この「本果寺寄席」の継続開催には、関係者からは「奇跡?」とまで言われてきました。本当に、ありがたいことでございます。さて、柳亭小燕枝師匠は、9月21日に真打昇進・八代目を襲名されました。そして、この11月10日までは、都内の寄席・演芸場で「披露興行」の日々でした。たいへんお疲れのところ、来演していただけました。本当に、ありがとうございます。師匠とのお付き合いは、平成25年1月14日、クリエート浜松・和室で開催された「祝・二つ目昇進柳亭市弥独演会」でのお手伝いでした。当日、会場の仕込み、バラシ、出囃子のCD担当をしたのですが、何と、浜松駅から会場まで、偶然、私の2メートル先を歩かれていました。途中でお声をかけて、会場までご案内しました。決して入りは良くなかったので、終演後の打上げは、開催のエンボスさんの事務所内でした。そこで酔っぱらっている間に、当時のエンボスの社長さんから、本果寺さんでの開催を強く薦められ、その場からお寺に電話して、3月30日の会場依頼をしました。これが、第一回目の「柳亭市弥の会」の発端なんです。当時、私は若手の噺家さんに定期的に来演していただいて、真打昇進に至る成長をお客様と一緒に経験したいと考えていましたので、定期的にお声をかけて実現出来ました。

 当夜は、都内での披露興行でも披露された「かっぽれ」を踊っていただけました。本当に、ありがとうございました。これからもお付き合い、よろしくお願い致します。(画像⑤、画像⑥)

 


(画像⑤八代目柳亭小燕枝の会)

 


(画像⑥かっぽれ披露)

 

 

2022.12.14 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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