「ちりとてちん」?
実は落語の演目です。三味線の音色から取られた“微妙な”食材(?)「ちりとてちん」。
噺家の目から見た“食”の話題を取り上げてもらいます。さて、どんな話が飛び出すのやら・・・

 

「2024年、アフターコロナのエトセトラを報告?します 2月篇」

 

 清八でございます。本年も、よろしくお付き合い願います。毎月、「食」に関する書籍・漫画・DVDなど、主に中古品を探しては買い求め、読んだり、観たりして学習しております。それでは、2月分を報告させていただきます。八日市「吉祥軒」さんの報告もあります。

 

■「暮しの手帖 第28号」暮しの手帖社 (2024.1.25) 新刊

 高校二年生、約53年前からの定期愛読書の最新号です。

 6~15頁は、港区南青山の「てのしま」の店主、林亮平さんによる特集「ひと味違う煮もののコツ」でした。林さんは、京都の菊乃井本店で副料理長をされていた方です。煮ものをおいしく作るには、7頁の「〇木製の落としブタが不可欠。煮物を対流させて効率よく煮られます。〇フライパンは使わず、深型の鍋で。食材の量に適した大きさも重要です。〇具材は出来上がりをイメージして、鍋底にきれいに並べます。〇火加減は、基本的に強火。様子を見て調整します・」1。3頁の「カキの黒コショー佃煮」。加熱用牡蠣を沸かした湯にさっとくぐらせ、流水で軽く洗ってザルに上げます。鍋に牡蠣、水カップに1と1/2杯、日本酒と黒胡椒を入れて中火に、沸騰したら水で濡らした落としブタ。3分経ったら砂糖、醤油を加えて煮詰める。食べる前に粗びき黒胡椒を振ります。赤ワインによくあう肴でした。

 104頁の「暮らしのヒント集」から、「自分を幸せにできるモノやコトをいくつか持っていますか?ささやかなものでも、心の中にたくさん貯えておけば、落ち込んだときの備えになります。」(画像①)

 


(画像①暮しの手帖)

 

 

■「dancyu 2023.12月号」プレジデント社 (2023.11.6) 中古本

 いつ頃か記憶にありませんが、新刊本の書店で月刊誌のバックナンバーを定価の20~50%で販売されるようになりました。この月刊誌も定価980円の50%OFF490円でした。

 この号の特集は「ニッポン美味『納豆』図鑑」でした。何と、33年前の創刊以来の大特集と書かれていました。全国納豆ランキングでは、一番納豆を食べているのは福島市で、年間支出額6,165円。最下位は、和歌山市で1,943円と三分の一なのだそうです。

 30~33頁の「納豆にまつわる超Q&A」のQに、「日本酒の酒蔵に行くとき、納豆を食べてはいけないって本当ですか?」へのAです。「納豆菌とも呼ばれる枯草菌は、さまざまな菌の中でも最強。栄養が足りなくなると休眠状態になって“芽胞”というカプセルをつくり、劣悪な環境でも生き延びることができます。一方で、栄養源(タンパク質)があるとわかれば芽胞が開き、活動を再開します。酒蔵の麹室は、納豆菌にとって栄養や温度が最適な環境。納豆菌の旺盛な活動に、麹菌が負けてしまうんです。」(画像②)

 


(画像②dancyu)

 

 

■「堀切直人著 浅草」栞文庫 (2004.7.20)古書

 関東大震災から東京大空襲までの浅草を舞台に、永井荷風、久保田万太郎、川端康成、高見順、武田麟太郎、色川武大、長谷川利行、宇野信夫などが書かれた浅草本から当時の街の評伝をまとめられた一冊でした。29~43頁の「銀座VS.浅草」では、関東大震災以前の浅草は東京一の盛り場であったが、大震災以降の復興から銀座が東京一に変わっていく様を紹介していました。その40~41頁に浅草の飲食店が書かれています。

 「戦後なくなった浅草名物の一つに、広小路(現・雷門通り)に夜になると五十軒以上もずらりと並ぶ立ち食いの屋台店がある。『おでん茶めし、志那そば、洋食、焼鳥、天ぷら、肉うどん、牛めし、牛フライ、すし、すいとんとあずき、うなぎ、本物の焼鳥、新香でお茶漬を食わせる店もあって、ほとんど食い物の総てを網羅している。そしていずれもコップ酒に、電気ブラン、ウイスキー、ブドウ酒等を備えてある』(『浅草底流記』)」。「いずれもたねを吟味し、腕をきそっている。遠くから好んで食通が喰べに来る。往来に尻をとび出し、首だけ暖簾につっ込み、牛めしの丼を抱えている」(一瀬直行『浅草・今と昔』)。屋台の下には、犬が、お客が固くて嚙みきれない肉や食べ残しを放ってくれるのを待っている。「屋台をとりまく風来犬の数はどうであろう。一つずつの屋台に一疋ずつぶらついているのだ」(室生犀星『公園小品』)。「夜になって屋台の焼鳥屋が並ぶと出動して、じっと坐って待ってるんでさ。それが実におとなしい。根気がいい。犬がそこにいるって気のつくお客は少いくらいですよ。ああいう犬にも、やっぱり縄張りがあるんだそうですが」(川端康成『浅草祭』)。(画像③)

 


(画像③浅草)

 

 

■「甲賀香織著 日本水商売協会」ちくま新書 (2022.3.10) 古書

 No.211で、2021年5月15日に文芸春秋から発行されていた「シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録」を紹介しました。ところで、昨年5月8日以降は、新型コロナ感染症は5類感染症に移行され、官公庁、各企業でも感染者情報量は激減しました。それでも第10波になっていることはご承知でしょうか。このサイトでは政治的な内容はタブーなのですが、私自身も体験してきた4年間だったので、事実は記録として残しておくべきだと思っています。今回の一冊は「コロナ禍の水商売」です。4年前、浜松市内の繁華街でカラオケスナックやフィリピンパブ、キャバクラなどからクラスターが出て拡散していったという事実がありましたね。もう済んだことだから、過去の事だからではないと思います。次の感染症対策の参考にする為に、飲食店や水商売だけでなく、官公庁も含めて、国会議員も含めて、「記録」を残しておくべきだと強く思っています。

 さて、40~56頁の「コロナ禍の水商売」は、一般社団法人日本水商売協会がまとめられた、たいへん貴重な「記録」でした。56頁のまとめです。

 「日本が感染症を乗り越え、再び活気を取り戻すには何がひつようか。『誰が』とか『どの業界か』とか「どの地域が」問題である、と切り分けて片づけてしまうのではなく、国民一人ひとりが自分以外の人々への想像力、感情移入をした上で、共に協力していくことが重要だと考えている。すべての問題は、そう単純ではないはずだ。我々日本水商売協会は店舗の集団ではなく、第三者である。だからこそ、業界と社会との通訳として機能しているし、この役割の担い手として、問題の解決方法を社会の皆と共に模索をしたい。」(画像④)

 公表されている各業界のこうした書籍は、全公立図書館及び学校図書館には永久保管していただきたいです。

 


(画像④日本水商売協会)

 

 

■「東海林さだお著 マスクは踊る」文春文庫 (2023.10.10)古書

 文春文庫から定期的に発行されている、東海林さだお文庫の一冊なんですが、表紙とタイトルから、コロナ禍の情報本として購入しました。210~223頁の「コロナ下『月刊住職』を読む」の221~222頁です。

 「何しろ今回のコロナ事件は誰にとっても初めての体験なので、何をどうすればよいのかわからなかった。誰もが方向を見出せず、右往左往するばかりだった。きちんと方向を見出し、その方向をきちんと示せる人が未だにいない。とりあえず自分で考え、自分なりの方法でやっていくほかはない。とりあえず何をするか。とりあえず手を洗うことである。それも丁寧に丁寧に洗うことである。ぼくもいつのまにか、何かにつけて手を洗う習慣が身についた。外から帰ってきて、ふと気がつくと水道の栓をひねっている。石鹸を手にこすりつけている。しかも丁寧にたくさんこすりつけている。自分のこれまでの一生を振り返ってみてもこんなに丁寧に手を洗った時期は一度だってなかった。しかも手を洗うことが少しも面倒だと思わないことが今回の手を洗う習慣の特徴である。多分、今回のコロナ騒動がなければ、手を洗うことが面倒で面倒で、という人生を過ごしたにちがいないのだ。」(画像⑤)

 これが書かれたのは、2020年の7月頃です。この第10波でも、まったくの正当な方法だと、教えていただきました。

 


(画像⑤マスクは踊る)

 

 

■「椎名誠著 失踪願望。コロナふらふら格闘編」集英社 (2022.11.30) 古書

 コロナ禍の「記録」が続きます。2021月6日に椎名誠さんが新型コロナウィルスに感染し、救急搬送、40度の熱での療養、そして退院後の体力低下などを書かれた内容でした。「新型コロナ感染記」、230~275頁です。

 「…病院に到着後、ぼくはストレッチャーに乗せられ、まわりを四人の看護師に囲まれた。このとき生まれて初めて見たのだが、看護師はテレビのニュース番組で見るような宇宙飛行士のような防護服を着ており、顔にかなり大きなダースベーダー的防護マスクをつけている。これが全員シュパーシュパーシュパーと呼吸音を放っているからなんとものっけから異様だった。…」退院後の文章は、

 「‥一時は筆を折ることまで考えた。しかし、このまま作家としてどうなってしまうんだろうとそれを考えることすら億劫でもあり、恐怖だったので、何をしていたかというと酒を飲んでいた。これも本調子から自分を遠ざける要因だったように思う。…」

 「‥ひょっとしてぼくだけではなく、そしてコロナウィルスの感染経験の有無にかかわらず、この一年間だけに限らず、コロナ禍のこの二年と少しの記憶が乏しい人がいるのではないだろうか。リモートワークばかりして、本来は人と会って旅をして起伏があるはずの感情がすべて平坦で、無味乾燥な時間となってしまった。この何年間なんにもしてないなあという虚無感とともに。…」(画像⑥)

 この一冊も、全公立図書館及び学校図書館には永久保管していただきたいです。

 


(画像⑥失踪願望。コロナふらふら格闘編)

 

 

■「婦人画報 2022年8月号」ハースト婦人画報社 (2022.7.1)古書

 第一特集が「行きたい!知りたい!いま旬な店58 和食の新地図」でした。46から89頁、山形県から大分県内の和食の新店、実は名店で修業された料理人たちが独立されての和食店の紹介でした。その中に、70~75頁、「日本文化を伝える名料亭『招福楼』のいま」がありました。私は、奥様と共に2004年12月26日、夜懐石をいただいております。当時は、税抜き・サービス料抜きで25,000円でした。それまでも昼席には伺ったことがありました。(ちりとてちんNo.037)

 72頁の紹介文の一部です。「料理の素材や味わい、季節感はもちろんのこと、器、しつらい、空間、庭園、お客を迎える心遣いに至るまで、和食の文化というものを総合的に創造し表現しているのが料亭。なかでも一目置かれる滋賀・八日市の『招福楼』は、明治初期にお茶屋として始まり、太平洋戦争後、3代目で現大主人の中村秀太郎さんが料理店に転換、今日のように人々が憧れ、敬う名料亭の姿を築いてきました。」(画像⑦)

 

 


(画像⑦婦人画報)

 

 アフターコロナで一番行きたかったのが、この招福楼でしたが、諸物価高騰?で二人だとかなりの金額になってしまうと躊躇しておりました。ところが、何と、年明けに、「にほんブログ村」というサイトに「滋賀の名料亭『招福楼』の割烹料理店『吉祥軒』」の記事を見つけたのです。現四代目の中村成実氏が、2018年に長らく使われていなかった家屋の一部を改造、地域の人達が肩肘張らずに気軽に味わえる割烹店をオープンしていたのです。カウンター6席と別室の個室に4席、中村氏が応対されている夢のような割烹なので、予約も夢?だと思っておりました。ところが、2月20日(火)12時の予約電話をしたところ、空いておりました。しかも、招福楼の時のデータから一見ではないと受けていただけたのです。メニューは、お昼は、3,960円。お昼・夜は6,600円から13,200円のコース料理。税込み価格なのですが、奉仕料はありません。一期一会になるかもしれないと、13,200円コースを予約しました。

 当日は、JR新居町駅8時27分発で豊橋経由、新幹線で米原へ、近江鉄道で彦根乗り換えで、八日市駅(画像⑧)に着いたのが11時27分でした。後でお店で伺ったら、近江八幡経由の方が早いそうです。駅構内の近江鉄道ミュージアム(画像⑨)で時間を調整して、招福楼の表門から入りました。(画像⑩)すぐに門番さんが出てきて、名前を告げると奥の吉祥軒まで道案内をしてくれました。暖簾をくぐると、若手の女性調理人が迎えてくれ、カウンター席に案内されました。このお部屋は、築およそ100年の家屋の一部を再利用され、天井は、胡粉をすり込んで木目が白く浮かび上がる「砂摺天井」によって外部からの光を反射させて柔らかにする茶室の明かりなんだそうです。カウンターの一枚板は客席側が直線になるように配置されていました。(画像⑪)厨房の水屋箪笥は元々長く使われていたものを向きを反対にされて古色と杉のコントラストが見事でした。土瓶からお茶を用意してくれてる間に、四代目の中村氏が目の前に現れ、お飲み物は、と尋ねられたので地酒の「松の司」を一合、追加で「七本槍」を一合、常温で頼みました。最初のグラスは、スワロフスキーでした。そして、一品一品、カウンターごしにコース料理がスタートしました。向付が「ホタテとわさび菜の和え物」そして、「蕗の薹とはまぐりの入った大根のすり流し」、温まりました。三品目が「お造り」でした。

 

 


(画像⑧)


(画像⑨)


(画像⑩)


(画像)

 

 

 お話に夢中で、途中から写真撮影の許可をいただきました。「八寸」(画像⑫)はナマコの酢味、赤蒟蒻、ねぎぬた、「もろこの焼き物」(画像⑬)「鴨肉の治部煮」(画像⑭)「蟹とせりの雑炊」(画像⑮)「デザートのシャーベット」(画像⑯)でした。中村氏からは、目の前で出家後に精進料理や茶道を学ばれた時のお話、三代目のお話を聞かせていただきました。たいへん貴重な経験となりました。招福楼は世界一の料亭です。ということは、吉祥軒は世界一の割烹だと思います。

 


(画像⑫)


(画像⑬)


(画像⑭)


(画像⑮)


(画像⑯)

 

 そうそう、招福楼さんのお向かいにルートインホテルがオープンされていました。これからは、夜にお邪魔して泊まりが可能になります。中村氏からは、この招福楼内と正門の間よりもホテルの方が近いと言われました。

 次回は、夜の吉祥軒に伺い、宿泊しようと思います。さて、帰りは米原駅で駅弁の「元祖鱒寿し」(画像⑰)と「近江牛大入飯」(画像⑱)を購入でき、帰宅後のディナーでした。最高の一日、ありがとうございました。

 


(画像⑰)


(画像⑱)

2024.3.16 清八



38年間、お付き合いしている長野市戸隠の森の喫茶店です。


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