人は一生の間、実に多くの人との出会いがある。しかし心に滲みいるほど感化され、影響を受ける人は稀(まれ)にしかいない。
日本のフランス料理の父と呼ばれた「山本直文先生」は、“三鞍の山荘”の今井克宏シェフにとってそんな忘れ得ぬ 人のひとり。


「おでむかえ」…軽井沢の山本邸

写真はイメージです
 旧軽井沢の駅を降りると、今の駅前とは異なる風情のあるタクシーのりばに向う。乗降客がホームにあふれかえるシーズン中は、ほとんど私たちの軽井沢行きはないので、静かな軽井沢を訪ねることができる。タクシーに乗り「山本直文先生宅」と名前を告げると、間違いなく山本先生宅まで連れていってもらえる。

 浜松に移ってからは、秋田純平さんと一緒に出かける事が多くなり、富士川から山梨にぬ け、清里から望月、小諸を通って軽井沢に入る。このコースは高速道路やバイパスが出来たりして多少の変化はみられたが、通 いなれたるドライブコースであった。スイス時代の仲間でもあった秋田さんとは、この道中がとても楽しく、毎年の欠かさない先生宅訪問の一つであった。軽井沢の中でもひと際簡素な場所にある先生宅は、タクシーで行けば間違いないのだが、こちらが探して行くとなると大変である。慣れればどんな場所でもわかるのはあたり前であるが、年に一、二回では、ついうっかり見落としてしまうのである。手入れの行き届いた杉の木立ち、車道と舗道に分かれているのでさらに静けさが伝わる。舗道から十メートル程のところに「山本」とだけ書かれた表札がある。まったく目立たないから、車で探すとなるとつい見落としてしまう。行きつ戻りつはよくあることで、毎度のことであるが表札を見つけるとホッとする。高さ三十センチぐらいの木に「山本」とだけ書かれているから、目立たない表札である。お屋敷はその奥、三十メートルぐらいのところにある。手入れの行き届いた庭木にも、軽井沢特有の静けさが感じられる。

 車の音を聞きつけた先生ご夫妻は、玄関まで来て迎えてくれる。先生の大きな身体が玄関をふさぎ、来客のもてなし方が家中に広がっているように感じる。先生は誰に対しても同じようにして迎えてくれる。決して多くの言葉は語らないが、先生の「やあ、こんにちは」で半年間のご無沙汰が「サーッ」と消えていく。

 先生と奥様が迎えてくれたあの軽井沢の「山本邸」は今はない…が、私のまぶたにはいくつになっても消えない、師の面 影である。

 

山本直文(なおよし)先生のプロフィール
 明治23年(1890年) 東京生まれ
 大正6年(1917年) 東京帝国大学文学部卒業
 大正10年(1921年) 学習院教授
 昭和26年(1951年) 東京学芸大学教授 フランス語講座主任
 昭和46年(1971年) 日本エスコフィエ協会名誉顧問・パリ司厨士協会
 昭和47年(1972年) エスコフィエ名誉弟子
 昭和50年(1975年) 第一回食生活文化賞大賞受賞
 昭和52年(1977年) 殊勲三等(瑞宝章)
 昭和57年(1982年) 歿 享年92才
 フランス語・フランス料理関係の著作・翻訳は多数に及ぶ。

三鞍の山荘へ戻る


Copyright © 2024 Salt.com All rights reserved.