うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「I.KA.11(第11回世界料理大会)」

 西ドイツのフランクフルトで、4年に1回行われる世界料理大会を見学するため、仲良し4人組(河崎、野中、中谷と私)はそろって休日をとり、電車をのりついでフランクフルトに行く。

この休日がどれたのも、エスワイルさんのおかげであった。それぞれの勤め先であるオーナーに頼んでくれたために実現したのである。職場で語学に苦労しながら、フランス料理を勉強している我々は、毎日が精一杯であったために国境をこえてこの大会を見に行くというのは大変にハードなスケジュールの中での旅であった。 職場ではドイツ語を聞きなれていたが、その言葉はスイスドイツ語であって、本場のドイツ語とは異なる。これに気がついたのも新しい経験であった。
ベルン市内では、フランス語を話す人が多く、日常はドイツ語(スイス、ドイツ語)を話していても、こちらがフランス語で話しかけると、答えはフランス語であった。ところが、ドイツに来るとフランス語はほとんど通じなかったのである。
言葉のカベにぶつかりながらの旅であったが、本場のおいしいソーセージやビールには大感激であった。

街の中の古い建物に、戦争で受けた弾痕のあとが生々しく残るのを見て、日本と同じ敗戦国でありながらこの程度ですんだドイツは、負け方がうまかったのであろうと話し合ったり、いや、石の文化と木の文化の違いだろうとビールの酔いも手伝ってか口角泡を飛ばしたのであった。

料理大会の行われた会場は産業会館の大きな建物の中であった。この料理大会の見学をすすめてくれたエスワイルさんの言葉は、半信半疑であった私たちは、会場に来てみて初めて、そのスケールの大きさと料理大会のすばらしさが分かったのである。広い会場に出品されている各国の代表による冷製料理は、今までに見たこともないすばらしいものであった。同じ料理人でありながら、その技術をもたない自分がはずかしいという気持ちよりも、料理の世界の大きさを見せつけられて、ぼうぜんとしてながめるだけであった。 この日のために持ってきたカメラのシャッターを押すことも忘れる程の私たち仲間は、カルチャーショックを受けて、ただふらふらと会場の中を歩きまわったのである。

「I.K.A.11」(世界料理大会第11回の略)のこの大会は、各国から参加をしてくるのでスケールの大きいものであったが、当時の日本からは参加はなかった。このような大会があることすら知らなかったのであるから、私たち仲間のショックは大きかったのである。

会場には、エスワイルさんも来ていた。私たちを見つけると、大きく両手を広げて近づいてきて、「ドウ、スバラシイデショウ」「キレイナモリツケネ」‥etc。エスワイルさんの日本語に、大きくうなづく私たち仲間の手を一人ずつにぎりながらさらに言葉をつづけた。

「ニホン、モ、コノ、コンクール、ニ、デルコトネ、ガンバッテヤローネ」「キミタチガ、ヤルノヨ」。エスワイルさんのからだのわりに大きな手に強くにぎられながらなぜか、自分のからだがあつくなっていくのが感じられた。

このエスワイルさんの力強い言葉だけがなぜか私の思い出の中に残っている。

ぐうぜんにも帰国してから8年目の1972年、このフランクフルト大会(I.KA.13)に私は日本チームの選手として選ばれて参加することができ、「日本チーム」は、初参加で優勝するという幸運を得ることができた。このラッキーな知らせは、エスワイルさんの生前には届かなかったが、ベルンの1日市内の墓地をおとずれた友人が「つたえてきたよ」とベルンの絵ハガキで知らせてきてくれた。

この大会には、その後も日本は参加を続けている。

 

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