うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「東京オリンピック」

 東京オリンピックは、スイス・ベルン市の喫茶店のテレビをみてコーフンした。だが「休憩時間」にニュースをみるくらいなので、オリンピックの内容は、ほとんどわからなかった。喫茶店内の客が、私たちをみると「ヤパン(Japan)」「トウキョウ」「サムライ」と云って話しかけてくる。なぜかサムライというときは、親ユビを立てて、私たちの方にごっつい手をつき出すのである。店内が「日本」そしてオリンピックを話題にして盛り上がっていることはわかるが、この地方の「スイス、ドイツ語」なのでほとんどわからない。こうなると例の外交的「ニヤッ」と笑って軽く受けながすことにする。

スイスに来てから一番質問されることは、「日本はどこにあるんだい」ということと、「このスイスまでは飛行機でどのくらいかかるのか」ということであった。東京オリンピック開催で、これらがどっと知らされたので、日本の女性が着物を着ていないことや、「サムライ」が町の中にいないので「とまどっている」のは、ビールをのみすぎた赤いハナの「おじさん」ぐらいであった。
ソウル市、上海市、東京が土地つづきであって、これをまとめて「日本」と信じているので説明をするには大変なことであった。

東京オリンピックが開催されたといって、日本はまだはるかに遠い国であった。アンカレージを経由してコペンハーゲンで乗り換え、スイスにくるというコースは実に20時間以上かかったのである。この長い時間を説明すると「へぇー遠いんだね」といいながら、その「遠さ」に敬意を表してくれるのである。東京オリンピックで日本が世界中に知られることによって、その後、この「遠さ」が近くなっているのであるから、オリンピック開催は大成功であった。

キッサ店内のテレビのニュースは短く、日本チームの成績はわからなかったが、何かで「金メダル」をとった日本の選手がクローズアップ後、日章旗が中央にあがったときは、河崎さんにうながされ、二人で起立して、なぜか胸の上に右手をあてたポーズをさせられたのである。その場の雰囲気からすれば、右手のポーズはよかったのかも知れないが、河崎さんは、時にはリーダーとして「日本人」の心意気を強要するのであった。

東京オリンピック後、日本からの外国旅行は簡単に出来るようになり、一般の旅行者にまざって若いコックたちがヨーロッパにやってくるようになった。「外国に行けばなんとかなる」という一種の「ボウケン」は、若い人たちにはたまらない「ロマン」だったのである。

しかし現地では、この「働きたい」といって飛び込んでくる人たちに頭をなやませていたのは、エスワイルさんだけではなかった。
ペーパー「労働許可証」「滞在許可証」がないと働くことは出来ず、なんとか「モグリ」で働こうとする人たちに私たちもまき込まれていくのであった。

東京オリンピックのハイライトはそれから4年後、日本に帰国してからドキュメンタリ映画で見ることができた。




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