うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「クリスマス

 父、アメリカ人、母、スイス人を両親にもつポールの自宅は、ベルンから車で30分ぐらい走った小さな湖、トーンの町にあった。レマン湖の1/10ぐらいの大きさの湖は美しく、その高台に建てられているので別荘のようなつくりであった。

 クリスマスに家に来ないかと誘われ、河崎さんと二人で電車に乗って来たのである。

 河崎さんは、日本にいるときは教会に通っていたというので、クリスマスの夜を一緒にすごそうというポールの誘いには「メルシィ、ポークー」ありがとう‥と、すなおに喜んでいたが、毎年クリスマスの夜は、人であふれる銀座で働いていた私には、クリスマスは「トンガリボーシ」をかぶり、赤鼻をつけた酔っ払いがよろけながら歩いている風景しか頭に浮かばなかったので、家に招かれることにとまどいがあった。

 
ポールは、スイス国籍なので19才のこの年は兵役前のクリスマスである。まだコック見習いの「アポランティ」であるが、この軍務に服すると「コミィ・ドゥ・キュジィヌ」になるということである。

 河崎さんは、賛美歌をうたえるということなので心強いパートナーであったが、一度もベルンの教会に出かけている様子はなかった。

  ポールの家に着くと早速家族を紹介された。おじいちゃん、おばあちゃん、妹のローザの4人家族、兄妹の両親は、アメリカ、ボストンに住んでいるということである。


※写真はイメージです

  ポールは、アメリカ人の顔立ちであったが、妹のローザは、スイス人の顔をしたチャーミングな女の子であった。13才ということだが、年令より若く見えた。

  ボデーラングでのポールとの話は通じるが、話好きなおばあちゃんの言葉は、ほとんどわからない。ローザが英語で通訳をしてくれるが、あまりにも英語の発音が流調なので「わかりません」のポーズをとる二人であった。

  早速、食卓につくと「お祈りを」してから食事がはじまった。「祈る」という経験のない私には長く感じられたが、となりの河崎さんの「マネ」をして口の中で「モグモグ」と言葉をころがした。

  オードヴルは、「魚のテリーヌ」で、ソースはタルタルソースであった。ポールが作ったと、はっきりわかるほど形は悪かったが、味はおいしかった。きゅうりのうす切りのドレッシング和えが歯ざわりもあって実においしいので、「オカワリ」をしてポールを喜ばせた。

  メインは、ローストチキンが2羽焼いてあった。エストラゴンが詰められていて香りがよい。つけ合せのポテトにニンニクがきいていて、家庭風味が食欲を増す。さらに「インゲンのオリーブいため」がこれまたおいしいので、「オカワリ」の連続であった。

  やがて、二人とも「食べすぎて」しまったことに気がつくのがおそく、次にテーブルにお取り皿と共におかれたチーズの盛り合せや、その後に食卓におかれたチョコレートケーキを「うらめしく」ながめるだけであった。

  「食べないと失礼だよ」と言っている河崎さんも言葉とはうらはらに、持ったケーキナイフをおく場所に困っていた。

  ようするに私たちは、招かれて食事をするという経験がないため、「食べ方」のタイミングが悪かったのである。少しづつ食べてデザートまで胃袋におさめられる「スキマ」をつくっていなければならないのを考えていなかったのは「ウカツ」であった。

  ワインは白、赤をグラスに一杯ずついただき、こちらの方は心地よい酔いがあった。

  食事が済むと、小さなツリーの木が飾ってある居間にうつり、食後酒をいただく。

  アルコール度数のある「洋なしのリキール」は、「食べすぎて」身動きのとれない二人の胃袋を少しづつ消化させてくれた。

  おばあちゃんのゆっくりとした言葉で、再び「お祈り」がはじまる。
ふと気がつくと妹のローザーが泣いている。その肩を兄のポールがだきよせ、ポール自身も泣いているのだ。はじめてのクリスマスの夜は実に静かで、そして人々の祈る姿は温かくそして美しいものであった。

  しばらくして、妹のローザが立ちあがり、ツリーの木のそばに近づき、まわりにおいてあったプレゼントを送り主の名前を読み上げながら手渡していった。プレゼンターとしてもローザは美しかったし、この夜のスタァーであった。

  私と河崎さんも、名前の入ったカードと共にプレゼントを全員からもらった。

  私は今夜のために赤ワインを一本ぶらさげていっただけの招かれた客であったが、河崎さんは前もってポールから聞いていたらしく、全員のプレゼントをポールに渡してあったようだ。ポールがその品物をそれぞれにカードとリボンをつけて、分配してくれていたのである。何も知らなかった私は、それぞれの気持ちを知ってジーンとこみあげるものがあり、祈りの終わったあとに一人涙ぐむのであった。

  プレゼントは、スイスの道路地図、トーンの街の絵ハガキ、切手シール、ボールペンとそれぞれ値段の高価なものではなかったが、ほんとうの、心のこもったプレゼントをたくさんいただいたクリスマスの夜であった。


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