うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「ハダカ広場


※写真はイメージです

 ベルンの街を散歩する余裕がでてきたのは、一ヶ月ぐらいすぎてからである。カジノレストランのそばにある橋を渡ると水面上までは25mぐらいあるので、橋の中央に立って見渡すとその景色はすばらしい。

 ベルンの街をUの字に蛇行するように流れている「アアレ川」は、上からながめてその水量は多く、青々としている。まわりをみると重厚な建物が多く、連邦議事堂やひときわ高くそびえるミュンスター大聖堂が見える。聖堂の鐘楼は、100m位の高さがあり、270段も上がらなければ登れないので、まだ一度もトライはしていないが、教会の内部のステンドグラスはうす暗い中でひときわ目立つ入り口の上の方にある彫刻らしき浮き彫りはたくさんの群像の表情がなにか恐ろしげで色合わせているとはいえ、その表現があまり好きになれなかったが、教会の中で祈る人たちもいて自分の気持ちも心なしか落ちつくのであった。

 仕事が終わると時計台(チークロック)の近くのシュパッツというビアレストランに行くのが「くせ」になり、この店まで歩く「石だたみ」の道路がすばらしく両側の店のショーウインドーがこれまた美しく飾ってあってながめるだけでも実に楽しいのである。

 美術館にはピカソの絵が多くあったが、スイスの画家ポール・クレーの部屋があり、たくさんの絵が飾ってある。ポール・クレーの線の入った絵と静かな配色がすばらしく、すっかりそれらの絵が好きになり、暇があるとそれを見に美術館に通ったのである。

 ベルン山と呼ばれる丘のようなところがあり、公園にもなっている。この公園の一角が「ハダカ天国」になっていて、この場所にかぎって上半身「ハダカ」になって「太陽浴」をすることができる。晴れた日にはたくさんの人たちが集まってきて、芝生の上にバスタオルやシートをひいて寝ころんでいる。この「ハダカ天国」には「アポランティ」が終わり「スイスの軍隊」に行って帰ってきたばかりの「フェリックス君」が連れていってくれた。

 彼は「コミ」になったばかりで仕事はまあまあであるが、スポーツが好きでよく動く「ソウシエ係」であった。この「フェリックス君」とは、相性がよくすっかり仲良くなっていったのである。スイスの友達ができると「昼」の休憩時間は河崎さんとは少しずつ離れての行動になっていったが仕事が終わってからの「ビールのみ」には、相変わらず皆勤でのおつきあいであった。
フェリックス君は、3ヶ国語が話せるので、私との話はゴチャマセ語である。とりあえず通じる言葉で話し合うわけであるが、彼はいい加減にはせず私がわかるまで説明をしてくれる。

 「ハダカ天国」で、私が腹に巻いている「さらし」がめずらしいようで「それが何のためか」ということを、周りの人たちも聞いてくる。私は腹が冷えると「ゲリ気味」になるので、小さい時は「金太郎」をしていたんだと「絵」に書いて説明したときには、まわりで「みんな」に大笑いされた。
・・・腹にかけた金太郎と「おしり」を書いてそこからほとばしっている「便」(!)を描いたのが「リアル」すぎたようだ。

 昼の休憩時間に、異国の人とつきあうことは言葉もそうであるが度胸もついてくる。しかし夜、仕事が終わってからは別だ。河崎さん、野中さん、中谷さんと4人が同じテーブルに座って何を話すでもなく「ビール」をのみながら過ごすのである。その間、秋岡さんはアパートに帰り一人、日本への手紙を書いているのである。

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