うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「先輩たち


※写真はイメージです
 ベルンの駅のホームは、暗く寒々としていた。
旅行者は急行や特急電車に乗って移動するので「どん行」に乗ってトランクを持っているのは私たちだけである。ドイツ語らしきアナウンスを聞きながら出口へと進む。乗ってきた電車からおりた人が歩いていく方向に一緒についてきたという感じである。

 駅の建物を出ると明るい広場が見える。街の中を走る電車が行く手をさえぎるように通りぬけた。

  ついに、私たちはベルンの街についたのである。日本を出発してから約20時間、今まで経験をしたことがないことをくり返し、ついに目的地ベルンの街に立っているのである。Kさんがメガネをはづしハンカチでふいてからあらためてメガネをかける。
「よし、いこう」2人は歩きだした。もうすぐ「レストランカジノ」に着く…。
頭の中に店の名前が入ってからわずか2週間、あわただしく日本を出発したわけであるが初めて経験する全べての事は、私たち2人を夢心地にさせたのである。

  目的地「レストランカジノ」に着いてからの2人は、オーナー夫妻を前にして通じない言葉にもどかしさを感じながら身ぶり手ぶりの会話を続けたが、ついに「あきらめた」らしきオーナーが、部屋に行って「休みなさい」というジェスチャーに「メルシィ ボークー」の言葉で答えて、案内される部屋に入ってどうにか落ちついた気分になる。

  スペイン語らしき言葉で案内してくれたチャーミングな黒髪の女性が「トイレ」はここ、「風呂」はここと流暢な言葉で説明してくれる。「オーイエス」「サンキュウ」とKさんは得意の英語がスムーズ?に口からほとばしる。「じゃ、さっきのオーナーの英語はわかったの…」と茶々を入れる、私。「いや、早すぎてわからねえよ」…

  たしかオーナーは、始めはフランス語で話しはじめ、通じないとなると流暢な英語で話をしてくれたのだが、二人にはまったく通じないのであった。「エスワイルさん、アキオカさん、ササキさん…がどうしたの…」名前はわかるがそのあと何かを説明してくれているのであったが、二人にはそれが何であるかは分からないのである。
「まあ部屋に行って休みなさい」は「お手あげ」のムードであった。

  「とにかくまず風呂に入るか…」Kさんは荷物の中から「タオル」をひっぱりだすと「お先に…」と部屋を出ていった。
私の番になり、Kさんがためておいてくれた風呂につかり、タオルを頭の上にのせると気分は最高。「ついにスイスに着いたぞ」「旅ゆけバァ…」なんて歌が出る。

  すっかりリラックスした二人が、ベットの上にのって横になり、
「いよいよだなー」というKさんの言葉にうなづいているとき、ドアをノックする音がした。
「ウィー…」なんてのんきな声を出していると急にドアがあいて日本人と外国人がとびこんできた。
「あれ、佐々木さんどうしたの…」とKさん。「どうしたもないもんだ、エアーポートに迎えに行ったのに」佐々木さんが早口に言う。
「いや、探したんですよ…」というKさんに「飛行機がおくれるというので食事をしていたんだ」その間によく君たちはここまで来たもんだとおこられたり感心したりしながらも、佐々木さんとKさんは手をにぎりあって再会を喜んでいたのである。

  「ヨカッタネ、シンパイシタネ、ダイジョウブダッタネ」
たどたどしい日本語はエスワイルさんだった。
エスワイルさんはじめ、佐々木さん、秋岡さん、野中さん、中谷さんの先輩たちがみんなでチューリッヒ空港まで迎えに来てくれたのである。
その人たちを空港に残して、私たち二人はさっさとベルンに来てしまったのである。
私たちを迎えに出たエスワイルさんたちのことをオーナー夫妻は私たちに伝えようとしていたのである。「きつねにつまされたように」二人には通じる訳がなかったわけである。

  とりあえず「よかった。よかった」の言葉に囲まれる。「ビールでカンパイを」ということで近くのビアホールにつれていってくれ、大きなジョッキでビールをのませてくれた。
「おいしい」「うれしい」「よろしくおねがいします」と私たちの長い一日は思い出の残る日となったのである。
この日をスタートとしてエスワイルさんとのおつきあいは何かにつれてお世話になり、スイスでの生活を助けてもらうことになるのである。

 

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