うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「エスワイルさん」


※写真はイメージです
 日本司厨士協会に渡欧申請書を提出して受理される。

 我が身辺は急にあわただしくなってきた。
 いよいよ渡欧の準備である。

 出発がいつになるかわからないが、青年司厨士派遣員として「スイスのホテル協会」に書類を送ったと通知がくる。
 健康診断書や、日本の身元引き受け人の証明書、銀行の通帳40万円の残高証明書。パスポート作成の各種書類のため田舎の役場に電話をする。

 「なに…ヨーロッパへ行くんけ…何をしに。料理?食べに行くんかい…」

 なにしろ、この当時はヨーロッパに行くなんてことが簡単ではなかったため、書類のために電話をした私と役場の係りの人との「かけあい漫才」は続く…

 時間はかかったが、無事パスポートに必要な書類は集まった。
 預金通帳は、希望金額にはほど遠く問題が生じたが、「身元引き受け人」の通帳でもよいということになり、叔父に頼んでこれをどうにかクリアーする。

 そんなあわただしい日を迎えている時、協会より「エスワイルさん」の歓迎会に出席せよとの通知がくる。

 ワイルさんは、横浜ニューグランドホテルの料理長として20数年間在日され、その後スイスに帰国。このほど当時の弟子たちがエスワイルさんを日本に招待をしたために来日。この歓迎会に「青年司厨士派遣員」は出席して「アイサツ」をしておきなさいとのことであった。

 スイスの「ホテル協会」が、日本の若いコック達を研修・留学させ、スイスにおいての身元を引き受けるということは、このエスワイルさんのお力添えによるものであった。その説明を当日、会場となるホテルのロビーで聞いた時は身体が震えるほど「キンチョウ」したのである。

 「マッテテネ、ダイジョウブ。スイスデベンキョウデキマス」

 この時のエスワイルさんの言葉は、一生忘れることのできない程、思い出として残っているのである。

 外国人と話をしたことのない自分にとって初めての経験は、このワイルさんの言葉が日本語として聞こえなかったことである。
 「なぜ言葉がわかるのだろう」と不思議に思い、「あれ、今のは日本語だぜ」と気がついたのは、ワイルさんが自分から離れていってからである。このエスワイルさんとの出会いがあってから「ヨーロッパに行けるんだ」という気持ちが強くなり、スイスに行くんだという目的地がはっきりしてきたのである。

 協会からTホテルのK氏を紹介してもらい逢いに行く。K氏は、先日までスイス、フランス、イギリスとまわってきたので「話を聞いてくるように」とのアドバイスであった。

 K氏は「そうだなー、スイスは朝9時になっても暗かったな」「それから寒かったぜ」という言葉に、私のノートにはスイスは9時まで暗い、寒さはとくにきびしい」…と、メモ書きをしたのである。

 今なら考えられない程、スイスについての知識がなかったのである。本屋に行っても調べるほどのガイドブックがなかったのである。

 

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