うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「コップ酒


※写真はイメージです
 フランス留学をめざす自分にとって、この銀座の店は居心地のよい職場であった。語学の勉強をする時間は、当然とれたし仕事の内容も非常に恵まれていた。店で使う材料は、今までに見たことのないものが多かったし素材の良さは最高であった。フランスに行く前にこのような知識をもったことは、その後、日本と外国の素材について勉強をするうえで役に立ったことは言うまでもない。

 休憩時感に銀座の銭湯に行く。リラックスムードは下駄履きにあらわれ、街の中を「カランコロン」と歩いて行く姿は、現在の銀座ではとても見ることはないファッションであったと思う。今とくらべて人出が少ないのが、こんな格好をして歩いても目立たなかったのであろう。それでも、路地から路地への裏道を通ったのは、せめてもの気の使い方であった。風呂の中は、客が少なく、湯舟でおよいだりして楽しんだのである。

 一方では、フランス留学の夢をもち勉強に熱中していながら、このように「のんびり」 出来たことは大変に恵まれた職場であったと言える。

 職場では、仲間とのつき合いも大切である。とかく勉強ということで全てを「ギセイ」にしてしまいがちであるが、そういうことはなかったのである。その理由のひとつとして、渡欧する日がはっきりと決まっていなかったためかも知れない。「やがてフランスに行く」「行きたい」「行けるであろう」という気持ちが割合いと「のんびり」させたようである。

 そんな自分に、職場の仲間は「のみに行こう」と誘ってくるのである。

 「協会」からの「推薦」でその留学の資格をもらい、渡欧出来るわけであるが、現在のように、お金さえあれば外国に行ける時代ではなく、条件の中に「40万円の預金通帳」をもっていなければならなかった。当時の私の給料は、2万5千円ぐらいであったから「ためる」ためには、一銭たりとも「ムダ使い」は出来なかったのである。こんな私に「つき合え」といって「のみ屋」に行くということは「キビシイ」誘いの言葉であった。仲間とのつき合いには、断わりきれず「一杯だけね」とつき合うことにする。安い店を「ハシゴ」をする。「もう一軒」という相手に、なんとか理由をつけて帰ることも努力が必要であった。

 そのうち「お金」をあまりかけずに「酔う」テクニックを習得する。それは「コップ酒」を一杯「ぐいっ」とひっかけ「つまみ」は「他人の食べている」のを横目でながめて「がまん」をして、「お金」を払うと全速力で駅まで走り、いっきに階段をかけあがるのである。この時には、若さという「すばらしい体力」があったから「ハアハア」しながらも「じわっと」酔いがまわってくるのを楽しむことができたが、今では「たちまち」「あの世行き」になってしまうことであろう。一杯ひっかけた酒が3杯の気分に「ひたれる」と、この手法を仲間にもすすめたものである。こんな努力を通帳の預金高を預けるためには必要だったのである。

 

 

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