うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。


「西洋の板前


※写真はイメージです
 成人式に田舎に帰る。中学校で久しぶりに昔の仲間と逢いおおいに盛り上がった。「今井は何をしているんだ?」「コックだ」と答えると、「へぇー」と言ってその後の質問はほとんどない。「ようするに板前だよ。洋食の板前だよ…」と説明すると、また「へぇー」という分かったのかどうか不機嫌そうな顔をするのである。

 「コック」特にフランス料理のことは、ほとんど田舎の人たちには理解されなかったのである。テレビの普及は田舎にはまだ少なく、料理の番組もほとんど無かったのであるから、「コック」は何の職業なのか分からなかったのである。

 まだ板前というのは分かってもらえたが、「包丁一本サラシに巻いて」の「ヤクザ」な仕事と見てとられたのである。「へぇー、西洋の板前け」と納得されても、どんなことをしているのか、その後の言葉は出なかったのである。

 田舎にはその後、ほとんど帰っていない。暇が無いというより、田舎に家が無くなったのが原因である。引越しをしてしまい、田舎の友たちとも便りがだんだん途絶えてしまった。

 その後、8年くらい経ってから、妻と長女を連れて田舎の友人を訪ねたことがあった。特に仲の良かった友人宅を訪問。1時間くらいであったが田舎の気分を味わうことができた。このころはフランス料理やコックという職業は分かってもらえたし、テレビの料理番組も盛んであったから、「一度食べたいなー、今井の料理を」という友人に「必ず…」といって約束したものだ。

 その後、西ドイツでの「FKA13」料理オリンピック大会に日本代表として出場し優勝をした。「テレビ」での出演もあって、田舎の人たちにもその姿を見てもらうことができた。中学校の校長先生が、全校生徒に私のテレビ出演を見せて共に喜んでくれたという便りをもらったのも嬉しい事であった。

 「コック」という職業が分からないときから数えると、10年くらいの年月はすばらしい変化があったのである。自分にとってはチャンスであった「ドキュメンタリー」テレビ出演は、更なる田舎の人たちに「コック」姿を見せる結果となった。

 「一日一組レストラン」「日本テレビ…」は、一時間番組であったので、自分でも驚くほどの反響であった。予約制のレストランはおかげ様で3年先の予約まで入ってしまった。それ程までに興味をもたれた番組を、田舎の人たちも見てくれたのである。「西洋の板前」は、「フランス料理のシェフ」という肩書きとなり、「コック」として認めてもらうことができた。中学時代お世話になった先生からお手紙をいただいたりして感激したのもこの頃であった。

 懐かしい思い出一杯の中学校が廃校になると聞き、OBの人たちにも手伝っていただき、中学校を訪ね、全校生徒やたくさんの父兄を前にして講演をした。もちろんコックコートを着て、ナイフやフライパンを使って技術をお披露目した。たくさんの拍手をもらい嬉しかったが。生徒の中で「将来、料理の世界に入りたい」という「寄せ書き」をもらったときは、思わず涙がこぼれたのである。

 

 

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