うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「スマトラカレー



※写真はイメージです
 休日を利用しての武者修業は、まわりの人たちに助けられたり、思いがけないハプニングがあったりして、その数は少しずつではあったが増えていった。

 ステーキの店、トンカツ屋、天丼屋、肉屋のコロッケ、シチュー、ハヤシライス、オムライスの洋食店などに行くことができた。しかし、修業とはいえそれは見ただけのことであり、本当に技術がわかったわけではなかったが、当時の自分にとっては「何かをしたい」「覚えたい」という欲望のみが先走りしていたのである。18才になると、修業方法が少し変化してきたのは技術への考え方の進歩であったろう。

 カレーライスは粉とカレー粉を炒めて作るルーがあり、これに「ブイヨン」を入れて作るのが一般的であり、豚肉や牛肉などそれに玉ねぎなどが加わって煮込まれていく。いわゆるカレーベースのシチューである。

 このカレーライスは食べやすく、また日本人には好まれる料理と思っていたが、「スマトラカレー」という看板を見つけ、飛び込んだ「カレーライス専門店」でカルチャーショックを受けたのである。

 ソースをごはんの上にかけると「スー」とごはんにしみ込んでいくように「さらっと」している。「スパイス」が強く、カレーの辛さがあり、今までに食べたことのない味覚であった。まわりのサラリーマン風の人たちが、季節も春先なのに「額にびっしり」と汗をかきながら食べているのである。

 「おいしい」というより始めての味は「覚えたい」という気持ちを強く後押ししたのである。新橋にあるこの店には、まったく偶然であったが勤めることができたのである。この店で働いているWさんと、仕事(武者修業)を通じての先輩が、知り合いであったため紹介してもらったのである。

 この店では「オーダー」のほとんどが、「スマトラカレー」であった。ステーキやグラタンやカキフライ、エビフライ、ポークソテーなどもあったが、戦争のような昼のランチタイムは店の外に行列が出来ている程で、その人気は素晴らしいものであった。今では行列の出来る店というのは「おいしい店」ということでマスコミにも取り上げられ、更にオーバーヒート気味に「ウワサ」が広がっていくが、当時としては行列が出来ているというのは、本当に評判が良いという証しであった。

 「口コミ」以外には知られることはなく、何よりもこの新橋周辺の人たちに愛されていたのである。

 そのヒミツは「カレーの味」にあった。いつも変わらない「味つけ」が大切であるため、この味をつける時は必ず店の奥さんが調理場に入ってきて仕上げるのである。その時間は調理場の3人いるコックと、洗い場のおばさんまで「休憩タイム」に入るのである。誰もいなくなった調理場で「奥さん」はスマトラカレーの仕上げをするのであった。途中までは、コックがやっているので、そこまでは決められた分量の材料「玉ねぎ」「ジャガイモ」「にんじん」「ロリエ」「とんがらし」「ブイヨン」を鍋に入れてそれぞれの野菜が煮崩れるまで煮込み、その後は「奥さん」の仕事となるわけである。

 その「奥さん」の仕事が一番のポイントとなる。「スマトラカレー」のヒミツは他の人には知らされることなく、この店の大事な「宝の味」として守られていたのである。見せてくれないとなると「見たい」という気持ちを持つのは当然であったが、何ぶんにも「味つけ」のガードは固かったのである。

 この店での仕事は他の店にはない「フンイキ」があって、すこぶる快適であった。この「ヒミツ」の「スマトラカレー」を除けば自由に仕事をさせてもらったことと、「ウェイトレス」の可愛い女性に囲まれていたので、気分は最高であった。「スマトラカレー」を別にして、調理場の仕事はWさんがチーフ格となり全てを取り仕切っていたが、決して怒らない性格は今までにないコックの姿であった。楽しい職場に約8ヶ月があっという間に過ぎた頃であった。この「スマトラカレー」の味つけのヒミツのベールが突然にはがされたのである。まったく意図的にそのヒミツを「見せてくれた」のである。

 その日は、いつものようにコックたちは「休憩」に入っていった。当然私も出ていくことになり、調理場を出ようとした時に、「イマイくん、そこのフライパンをガス台にのせてくれる?」という「奥さん」の言葉に「はい」と言って大きなフライパンをのせると、「サラダオイルをその横スプーンで半分ぐらい入れて」と言う。「はい」と答えて入れると「火をつけて弱火で」・・・火をつけながら奥さんを見ると、小さく切った豚バラ肉に、手に持った塩をふりかけ、粒コショウをムーランから落としてかけている。「この肉をフライパンに入れてね」。奥さんの渡す肉をフライパンに入れると、そのまま「木のシャモジ」でかき混ぜるように命じてから、カレー粉を計っている。そのハカリの目盛りは私から見えるところにあって、はっきりと数字が読み取れたのである。カレー粉をフライパンの中に入れるタイミングを気にしながら奥さんは、「お母さんは、いくつになったの」「田舎に一人でいるの」とか話しかけてきた。問われるままに返事をしながらの作業であったが、煮崩れた野菜の「ナベ」の中に、カレー粉で炒めた豚バラ肉が入るまでの全ての行程を私にさせてくれたのである。「ヒミツ」は、カレー粉と豚バラ肉のいため方にあり、そのカレー粉の色がポイントであった。この仕事は、この日が最初で最後となったのである。次の日からまた休憩をとらされ、その時間の中で奥さんが「スマトラカレー」を仕上げる、といういつものパターンに戻ったのである。

 それは自分でも納得がいくと同時に、「スマトラカレー」にはやはりある種の「知らない」業(わざ)があった方が幻の「カレー」として、私のコック人生の「ノート」に残されるような気がしたのであった。

 その後、何度となく「スマトラカレー」を作ってみるが、あの店の「スマトラカレー」は作ることができないのである。
 今はその店はない。

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