うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「ビーフシチュー



※写真はイメージです
 自分の職場で技術を覚えるのは、当然であるが、料理の知識を早く得るためには別 の店に行くことが早道であった。それを実現させてくれるのは、休日を利用して「部屋」通 いをすることであったが、それには限界があった。
どうしてもこれは覚えたいと思うものは1日や2日で覚えられるものではない。

 そこで、19才になると、先輩などの情報をもとに「シチュー」が美味しいという店を何件か選んで食事に行くことにする。それぞれの店に味の特色があり、スパイシーだったり甘かったり、とろみがあったり、さらりとしたソースに出合ったりした。
その中で、これぞ「ビーフシチュー」というのを見つけることができた。
赤坂にあるT軒である。肉のやわらかさ、ソースのとろみ、野菜の甘み、色、ボリューム感、全てが満足のいくものであった。

  「仕事させてください」と、いきりなりT軒の裏口から調理場に入り、まな板の前でロース肉を切っていたコックさんに声をかける。
30才くらいのこのコックさんが、料理長と見たが、店から顔を出した女性の方に「マスターを呼んでくれ」と声をかけている。 「何、仕事だって、誰だい」と言いながら、マスターが調理場に入ってきた。「あれ、先程、店に来ていたお客さんじゃないか、どうしたんだい」シチューの皿のソースをパンですくって食べ、なめるようにしていた私をマスターは覚えていてくれた。
この店のシチューの美味しかったこと、是非この技術を覚えたいので私を雇って下さいというようなことを話したのである。
突然、この申し出を聞いたマスターは「こちらにおいで」と店の中に招き入れると、テーブルに座らせ、現在この店には、コックが間にあっていて、次に雇い入れる見習いも待っているくらいなので、君を雇うことは出来ない。残念だが、あきらめてくれということを静かに話してくれたのである。 いきなり飛び込んで「雇って下さい」という方が無理な話で、当然断られて当たり前であった。

  さて、ここからが私の自分でも自分が分からない所であって「あきらめない」「必ず何とかなる」流のあたって砕けろ根性が芽を出すのである。 一週間後、私はこの店に行き、同じ「シチュー」を注文してソースをパンですくいとって食べて、もう前回逢って顔を覚えていてくれるマスターに「ちょっと洗い場で皿を洗わせて下さい。1時間でけっこうです。」と頼み込み、苦笑しているマスターの返事をもらう前に裏口から調理場に入って、洗い場の前に立ったのである。皆、あきらめたように笑いあっていたが、店の中もお客さんで混みだしたので、「変なやつ」にかかわっているわけにもいかず、それぞれの仕事にとりかかっている。 洗い場の「おばさん」が前掛けを出してくれるのを深く頭を下げて礼を言い、汗びっしょりになりながら洗い物をしたのである。

 シチューの有名なT軒へは、こんないきさつから暇を見つけては洗い場通 いをしたのだった。

  その間に、牛バラに塩胡椒をして大きなフライパンで焼き色をつけ、煮込んでいるデミグラスの中に入れ、野菜と共に約2時間半から3時間煮込み、サイバシで刺して、すっと通 るくらいに煮込んだ牛肉を取り出して冷まし、完全に冷めたら冷蔵庫に入れておく。
翌日、冷えて固まった牛肉の余分な脂を取り除き、厚切りにしてソトワールの鍋に並べ、上からたっぷりと赤ワインを注ぎ、フタをして20分程、蒸して肉が柔らかく戻った所に煮詰めたデミグラスを入れて、弱火で静かに20分程煮て、火を止めるのである。オーダーがあると、鍋の中から人数分だけ小さな鍋に移して温め、マデーラ酒、ブランディーを入れて仕上げ、つけ合わせと共に皿に盛って「あつあつのシチュー」はお客さんのテーブルに運ばれるのである。

  ここまで見とどけるまで、何日通 ったことであるか、その後、本場フランスへ行き「牛肉の赤ワイン煮」を覚えてきた自分であったが、このT軒の「シチュー」の作り方が一番おいしく出来るし、日本人相手の私たちの仕事はやはり、この洋食の技術を覚えることが大切と気がつくのは、ヨーロッパに勉強に行って、帰国してからであった。

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