うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「ヘルプ



※写真はイメージです
 その「部屋」は隅田川の「勝どき」橋の近くにあった。中に入ると20名程の人たちが「火ばち」を囲むようにして座りその「火ばち」が灰皿になっていた。次の部屋の奥まったところに「親方」がいてそのまわりにも4〜5人の人たちがいたが、そこでは、タバコを吸っていなかった。

 「こっちへ入りなさい」という落ちついたやさしい声の主は「親方」の養女であると、Kさんの耳うちがある。
今日はこのKさんが私を「部屋」に連れて来てくれたのである。空いている所に自分で座ぶとんを持っていって座る。

  職場での仕事が慣れるにつれ、早く一人前になろうと思うあせりもあった。そんな悩みを職場の先輩Kさんに相談すると、「勉強するには、他の店の仕事を見ることが一番早道である。それには、休日を利用して「部屋」に行き、ここから職場を紹介してもらうのがよい。」というアドバイスがあった。Kさんは「親方」に私を紹介のするために一緒に来てくれたのである。

 「部屋」とは当時、料理人の仕事をあっせんする所である。「職業紹介所」すなわち、この部屋には失業者が職を求めてやってくるので私のように勤めていて勉強のために仕事場を紹介してくれというのは「めずらしい」ことであった。
「親方」は、その点を理解してくれ、「部屋」を訪ねると必ず「職場」を紹介してくれた。

  電話のベルがなる。いっせいに「親方」の方を見て言葉を待つ「よし五名、丸の内のSだ」名前を呼ばれると、それぞれが荷物を持って部屋から出ていった。部屋の中は再び「タバコ」の煙りと男たちの話し声が続く集会場となった。
二間続きの奥まった「親方」のいる部屋は、禁煙室というわけでもないだろうがこの部屋では、タバコを吸っている人がいないのは「親方」の前でのんびり「タバコ」を吸う雰囲気ではないためだろう。 電話が鳴る都度男たちは「親方」の話し声に耳を傾け少しづつではあったが部屋の中に「隙間」が出ると座る場所が変わっていくのである。
窓側に座っている人が時々窓を開けて「タバコ」の煙りを外に出し新しい空気を入れたりしている。

 座っていた「親方」が立ち上がって着物の着替えを始めた。身長もあるので仁王様のように見える。 養子の娘さんに手伝ってもらって紫色の「ユカタ」に着替えるとほとんど上半身だけを動かしてあとは手足をブラブラさせるだけの体操を始める。これが親方の日課になっているようだ。珍しそうに眺めていると「親方」は私を見て手招きをしながら「ボーズ、今日は神田に行ってこい」「和食中心だが多少勉強になるよ」…と片目をつむりながら一言……
「えっ和食なの、自分は洋食屋に行きたいのだがな…」と不満と不安の持った顔を親方に向けるより早く、Kさんが「行ってこい」とそでをつつく。
「行ってこいよ」と言う親方の大きな声に押し出されるように部屋を飛び出したのである。

  目的地に着くと駅前の酒場であった。昼は「焼き魚定食」「焼き肉定食」「トンカツ定食」「さしみ」「カキフライ」などがメニューであった。年配の板前さんが作るのを手伝うことになる。一時間もすると焼き肉の「ショーガ焼き」を私に「焼け」と板前からの指示と共に「タレ」につけた肉を手渡される。
使い古された「フライパン」で焼き、付け合わせのキャベツとトマトが盛り付けられた皿にのせる。小口切りの「ネギ」をふりかけタレを上からかけて「一丁あがり」…「よし」と板前はうなづき、「トンカツ」「カキフライ」「ポークソテー」と次から次へと入ってくる。オーダーを私にやらせてくれるのである。

  店が駅前にあるせいか客はひっきりなしに入ってくる。板前さんは「なべ」や「さしみ」や「お通 し」づくりで手一杯といった感じで、だんだんと自分のレパートリーが増えていくのであった。その場所には、現在自分の働いているところと異なる仕事があった。「トンカツ」「カキフライ」はとても難しいもので職場ではとうてい自分の仕事ではなく「見ている」だけの作業が、ここヘルプに来た店では「うまさ」「上手さ」には関係なく「やらざるを得ない」のである。狭い調理場、手をのばせばほとんどに手が届き、動き回らなくても仕事ができるのは便利であるが調理場全体が古いのと忙しさのためにあまり「そうじ」をしていないのか、汚れているのが気になったのである。
ガス台では、「なべ物」を作るので、その煮汁がこぼれてまわりがベトベトになっている。「そうじ」は得意の自分としては「手が空く」と、それらの汚れを拭き取ったり、削リ取ったりしていたが、キリがない程の仕事量 となった。

 夕方になると店は更に混みだして30席程の店内は満席となり、10時頃までその状態が続く。 ビール、酒のつまみのオーダーが多くなり「さしみ」「ぬた」「焼き魚」「焼き肉」「天ぷら」「お新香」「なべ物」なども板前さんの「そば」について手伝うことになる。「さしみ」を切るのは板前さんだが盛り付けはこちらにまわってくる。「ぬ た」を作るのも一人前の顔をしてうまく「タレ」に混ざったかを板前さんの「マネ」をしてつまんで「味見」をする。混ざっていない「カラシ」にむせたがこれも板前の修業である。

  10時30分頃になると、さすがに客足はなくなってきた。この一段落を待っていたように「オーナー」が店に入って来て「茶封筒」に入った「ヘルプ代」を手渡してくれた。 「食べていきな」と板前さんが用意してくれた食事をいただく。残り物ではあるがごちそうである。 「さしみ」や「煮物」もついている。そして小さなグラスではあるがビールまでついている……16才の自分が飲んでは…という断りの気持ちがあったが、あいにく私は14才ぐらいから酒はテスティングを繰り返しているので飲める方である。

 「親方」が私を店側に紹介する時18〜19才の若い者が行くのでよろしく「フランス料理を勉強しているが和食をひとつ教えてやってくれ…」というようなことが店側に伝わっていたのである。全ての仕事をやらせてくれたのはそのためであった。

 この「部屋」通いは、休日を利用して職場が変わっても3年程続いたのである。 あいがたいことに自分がヘルプに行った職場から改めて「名指しで」私を指名してくれたことも長続きした原因である。そして、この「ヘルプ代」がやがて渡欧する費用の一部になったのである。

BackNumber | ホームへ | 三鞍の山荘のページへ



Copyright © 2024 Salt.com All rights reserved.