うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「洋食



※写真はイメージです

 洋食と本格フランス料理が同じ調理場の中で勉強できるのは、まことに幸運であった。 カレーライス、スパゲティ、トンカツ、ハンバーグ、コロッケ、ハヤシライス、親子丼、カツ丼を進駐軍帰りのコックがつくる。

 フランス料理は、つけ合わせのジャガイモだけでも難しい名前があって近づきがたい職場に感じた。支配人などとの口争いから、フライパンを振り上げて殴りつけた料理長にはとてもついていけない雰囲気があった。しかし、料理そのものは、今まで見たこともない、また口にしたこともないものばかりであった。宴会の中で焼き上げた骨付きの牛肉は、その大きさもまたオーブンの中で焼き上げる作業で「男の仕事」といったたくましさがあった。

  後片付けにまな板を洗う時、小さな肉片があったので、すばやく口の中に入れる。ステーキなどの肉とは異なる味を感じて感激する。 仔羊の肉や鴨などは、味見をするのを「すばやく」「見つからず」にせねばならないので、「じっくり」と味わう余裕はない。「飲み込んで」しまうというのが正しい表現である。
珍しい試食のチャンスが増すにつれ、何となく自分の口には洋食のほうが合うような気がしてくるのは、味見の進歩だったのかもしれない。

  両方の調理場の走り使いはスピードが命だ。 与えられた仕事、また自分からやっていることを済ませると、次の仕事は横からいつでも入っていけるようなスペースを探しておく、という離れ業が必要になってくる。ちょっとでもボケーと立っているなんて暇はないのである。仕事場に慣れるにつれ、自分の動きも広範囲になるため、出来上がった料理が窓口から客席に行き、そして食べ終わったあとに、その皿が戻ってくるのも見えるようになってくる。

 客の満足感は、この下げられた皿の中に現れている。料理を残す場合、満腹のために「もう食べられません」ということで食べきれない料理が皿の中に残されて洗い場へともどってくる。これは残らないのが一番良いことであるが、お客様のお気持ちは色々である。 この残りものの多いのは高価であり、そして華やかなフランス料理の方が洋食よりはるかに目立つのである。食べ慣れないせいかも知れないが、手のこんだ料理ほど残ってくるのである。残ってくれば当然味見のチャンスであるから食べてみると、洋食に比べてスパイスの香りも強く、ワインの味、バターの味と複雑な味がその皿には残っているのである。 料理の中でも、たっぷりとソースがかけてあるのが残ってくるようだ。残ってくると、料理長がその皿をもってシェフボックスに行き「味見をする」のである。「別 におかしくないのだがな」…と言いながら、皿を洗い場に戻しにくる。その時の顔は、あきらかに不機嫌である。走り使いの自分はシェフのこの雰囲気を一番はやく読み取り、必ず離れた所に避難することにしている。 良い料理なのだろうが、美味しくない。だから残されるのである。口に合わない。そう評価をしてしまえばそれまでだが、洋食と比較すると、まだなじみがなく残す人が多かったのである。

  コック見習いの自分としては「おいしくて」「なじみのある」料理が好きであった。その気持ちは、より自分を洋食をつくるコック達の方に近付けたのである。 カレールーやハヤシのもとのデミグラスは難しいが、カツ丼、玉 子丼、親子丼は「タレ」さえ出来ていれば途中までは手伝うことが出来た。「カツ」や「玉 ねぎ」「鶏肉」を入れるだけで、そのあとは煮込んで割った玉子を入れて、軽くフタをして、玉 子がかたまりかけたら素早くご飯の上にのせて、「みつば」をのせて仕上げる。このときの玉 子を煮すぎないことがコツで、全てタイミングの仕事であった。カキフライの揚げ方は、温度とのバランスであった。客席に届けられたカキフライが、丁度「火の通 るとき」という説明を聞いた時は、調理技術の奥の深さを知ったのである。

戻る | BackNumber | ホームへ | 三鞍の山荘のページへ



Copyright © 2024 Salt.com All rights reserved.