うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「カニクリームコロッケ



※写真はイメージです

 進駐軍帰りのコックのつくるクリームコロッケは、すばらしく美味しかった。どうしてアメリカ軍の調理場にいた人が街の中のレストランで働く様になるのか、当時の私には分からなかったが、はっきりとキャンプ帰りのコックであるということは、本人たちも言葉に出していたことなので別 に悪いルートではないことは確かであった。この人たちは非常にスマートさがあり、調理場での会話が英語が多かったのである。

 今考えるとおかしい職場であったのだ。片方はフランス語を話すのであったから、このどちらにも所属しない私はただウロたえるだけであった。しかし慣れてくると言葉は分かるもので、「イエス」と「ウィ」が自然に反応して出てくるようになる。

 「ブルーテ」は粉とバターをナベに入れ炒めた後、牛乳とブイヨンを入れて「ノリ状」のものをつくる。これがつなぎとなって、あの「コロッケ」ができるのである。カニのコロッケ、チキンコロッケ、ビーフコロッケ、フィッレィコロッケなど、材料が異なるだけで作り方は一緒であった。

 白ワインをたっぷり入れて蒸していく。カニコロッケの場合、この時非常に美味しそうな香りがまわりに立ちこめるため、そっと近づいてナベの中をのぞきこんだら思いっきりむせかえったのである。アルコールが蒸発(じょうはつ)しているのだからあたり前だ。ひとつ、ひとつの経験が勉強になる。カニのナベの中にブルーテ(つなぎ)が入り、生クリームと卵黄が最後に加えられる。この時の火加減が難しいようで、真剣さが伝わってくる。プラッターという平らな器に薄く伸ばし冷ましていくのだ。時々、上と下にかき混ぜながら早く冷ますのがコツである。

 冷えたコロッケは丸められ、パン粉につける。パン粉も手づくりで、2〜3日乾かしたパンを大きめのウラ漉しにこすりつけて作る。手の平が真っ赤になるが、手伝わせてもらえるだけで嬉しいので、文句も言わずニコニコと笑いながら作業する。気持ち良く仕事をしていると、次から次へと新しい仕事を教えてもらえる。「イマイは返事がいいね」と言われることがたびたびあったが、自分としては「はい」という大きな声が唯一の言葉なので、相手に聞こえるようにはっきりとすることが良いようだ。

 オーダー(注文)が入ると、カニコロッケは大きな油のナベの中に静かに入れられる。一人前40gが2ケ。カラッと揚げられると、かなりのボリューム感がある。

 つけ合わせはコールスロー(キャベツの千切り)だ。パセリが一本、キャベツにはドレッシングがかけられる。 ここまでは手が空いている時は自分がふっとんで行って用意をするようにしている。一ケ所でじっと仕事をしているわけにはいかぬ 走り使いは、とにかく調理場をフルに飛び回っている。床下が油っぽく滑りやすいため、オガクズがまいてある。この上を滑り込みの要領で働くのである。幸い中学3年まで野球部にいたのでこのあたりは一応様になる動作である。

 カニコロッケのソースはトマトソースがかけられ、オーダー窓口へと運ばれるのである。テーブルには「トンカツソース」や「ショーユ」、塩、胡椒が置いてあるので、ほとんどのお客様は「トンカツソース」をコロッケにたっぷりとかけて食べるのであった。「なぜ」…というギモンもあったが、尋ねた時に「なにー」とにらまれたので、それからは気にしないようにした。ある時、残ってきたコロッケを食べた時に納得した。「トンカツソース」のかけられたコロッケは大変に美味しかったのである。当時、コロッケ、トンカツ、カレーライス、ハヤシライスなどに、お客様はほとんどトンカツソースをかけていたのである。ジャガイモの入ったコロッケの知識から、ルーをつくり、ブルーテをつくり、生クリーム、卵黄で仕上げるカニクリームコロッケは、私の大好きな仕事になっていくのである。

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