うまい料理を食べることは、人生最良の一場面 といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



フランス料理 食べ歩きツアー



※写真はイメージです

 フランス料理教室の生徒さんから「フランス料理食べ歩きを企画してください」と頼まれ続けて5回行なった。秋から冬にかけての旅行であったが、多い時で30名、少なくても20名ぐらいの参加があった。男性は少なく圧倒的に女性の多いツアーのため、買物の楽しみもあって華やかな旅であった。

 ミラノではひったくりなどの事故を防ぐため、ハンドバックは肩からお腹の方にかけるようにして自分の前においていつでも取られないように「ガードせよ」との添乗員の説明もあってか、全員が「バンド付ハンドバック」を肩からかけて、この上に冬だから「コート」を着る。そのスタイルで総勢30名がぞろぞろとミラノのショッピング街を歩くと「妊婦さん」の大行列である。いやおうなしに目立ち、珍しがられて通 りをあけてくれる人たちもいて「グラッツェ」を言いながらノッシ、ノッシと歩いていたのである。「これじゃお相撲さんだよ」と本人達も大笑いをする。にぎやかで楽しい旅は次の目的地へと「大型バス」で移動して行く。

 ミラノからモナコへ向かう途中に食べた「ランチ」のラザニヤは「事故…もなく」開放感もあってか全員が残さずに召し上がっていたようだ。

 旅行にはトラブルがつきもので、交通 事情で目的地に着くことができず、別の街に入ることになる。ところが日本の大手ツアー会社を利用していることと、添乗員がベテランなので次々と起こる問題がクリアされていくのには主催者としてはホッとするところである。おかげさまで身体の不調を訴える人は少なく、コートダジュール観光の拠点ともなるニースに到着、サラダニッソワーズを食べるんだと街にくり出して行くメンバーを見ると「食べる」ことが人生の全ての感あり……

 ニースの海岸、ビーチは玉 砂利で有料ビーチには更衣室、シャワー、デッキチェアーなどが用意されているが11月では泳ぐ人はいない。ニース地方の料理は野菜が多く使用されるので日本人には好まれる。料理方法がシンプルなので受けるようである。ラタトゥーユなどその例であろう。

 私はエスコフィエ会員になってから、旅行でエスコフィエ生誕の家の館長ラモーさん宅を訪ね、2週間程カンヌのとなり町、アンティーブで滞在したことがある。このあたりコートダジュールは大好きなところで暇があれば何回も来たいところである。ご一行様がイタリアを離れたから安心ではないのだが、ニースは気分も明るくするようだ。街へ買物に行く姿は軽装で妊婦スタイルではない。

 集合して移動するバスの中では昨夜のディナーの話でもちきりである。オプションに参加する人、ぶらり街を散策していて、おいしそうな匂いに誘われて入り込んだ小さなレストランが「大満足」であったことなど、話題は「食べる」「次は何が食べたい」という話も加わって、皆さん日本のことはすっかり忘れている。後日わかったことだがほとんどの人が旅行カバンの中に「日本の味」をそっとしのばせていたのである。「うめ」「のり」「みそ汁」「お茶」「センベイ」「ソフトイカ」……etc……このころは飛行場の出発ロビーの売店で買うことが出来たので旅行慣れをした人たちはスタンバイにここを利用するのであった。バスの中ではこの「日本の味」が手渡しで少しずつでまわってくる。

 「何も外国に来てまでも…」とぶつぶつ言いながらも、袋の中から「うめぼし」を1ヶつまんでお口に入れると、「お茶はないの…」なんてチャッカリ次のオーダーをしている人もいる…。元気なヒケツはこれにあったようだ。日本人の人たちは日本を離れることによって強いストレスを感じる。とくに「食べる」ことの変化にあるのだろうが「センベイ」を口にほおばりながら「ピザ」のおいしかった話をする。「カリントウ」を指でつまみながら「チョコレートムース」のデザートのすばらしかったディナーの話しをする。ハイウェーをとばすバスの車窓から見える景色の話題はあまりなく、「食べまくり」ご一行様は次の目的地「美食の都」リヨンへと向かって行くのであった。

 今私のところにまわってきたのは「塩うす味たら」であった。これならビールなしでも食べられる。連夜つきあっているディナーのオプションに少し疲れはじめた胃袋を快復するだろう。しかし、油断するなよ!リヨンの味はしっかりしていて重いからな…と、自問自答して車内での眠りに落ちた。

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