うまい料理を食べることは、人生最良の一場面 といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「一生忘れられない、思い出の味」


 インスタントチキンラーメンを食べるため、チューリッヒに住んでいるK君が急行列車に乗ってやってきた。
「元気でやっていますか?たまにはベルンに遊びに来てください。日本からラーメンを送ってきたので食べにおいでよ」
ベルンの街の中心にあるチークロック(時計台)の写っている絵ハガキをK君宛に出しておいた。K君はこのハガキを受け取るとすぐに休日を変更してやってきたのである。
「ラーメンと聞いちゃ我慢ができないよ。ゴチになりま〜す!」
たった一杯のチキンラーメンは、急行列車に乗ってやってくる程、当時の私達には魅力のある「ゴチソウ」だったのである。


スイス ベルン市 時計台
(画像提供: www.myswitzerland.com
 1960年東京オリンピックが開催される一年前である。西洋料理の団体である全日本司厨士協会より青年欧州派遣司厨士という肩書きをもらっての料理修行時の話である。料理の勉強に来ているのに当時の私達の不満は日本の食事ができないということであった。渡欧生活が長引くにつれ、日本の食事を食べたり、自分たちで作ることもできるようになってくるのだが、最初の一年間が日本食へのストレスがたまる時でもあった。「ごはん」「みそ汁」「刺身」「漬け物」「キンピラ」「イモの煮っころがし」。ノートに絵をかいてみたり「今夜は縄のれんで焼き鳥で一杯」なんて夢も見たものである。職場に慣れてくるとホームシックにかかる。日本の食事を食べたいというのも、このホームシックの原因になっていたのだ。

 日本の母親に「元気でやっています」と近況報告の手紙の中で「日本の食べ物の夢を見ます」と、ついうっかり本当の事を書いてしまった。母は周りの人に手伝ってもらって、ダンボール箱に煎餅や飴やカリントウ、甘納豆等を入れて送ってくれたのである。この中に5ケのインスタントラーメンが入っていたのである。K君にはこの中の1ケのラーメンが分け前として振る舞われたのである。 「うまかったな〜。スイスに来て初めて食べたラーメンだよ。こんなにうまいものはスイスにはないよな〜。チューリッヒから来た甲斐があったよ…。」と、K君はひとりごちながら器の汁を全部すすっていた。

 スイスの税関では見たこともないインスタントラーメンや、大きくて丸い「煎餅」には戸惑いもあったのだろう。このかたまりの中に何かがあるのだろうと半分どころか四つ割り、中には八つ割りにして調べた後があった。おかげでラーメンは短く、煎餅は柿の種のようになっていた。この一杯の「インスタントラーメン」、そしてパリパリッとした歯ざわりの「煎餅」の味は一生涯忘れられない「思い出の味」として今も残っているのである。

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