うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



「仕事のリズム


 仕事の出来る人にはスピードがある。流れるように、そしてリズムがある。Nさんの仕事はまさにそれを感じさせた。

 一日も早く仕事を覚えNさんに近づきたいと「ジャマ」にならない程度にそばに行き、その仕事を見ることにした。洗い場をなんとなく卒業した私には、忙しい所を手伝うことが大切で、進駐軍帰りのコックに追われっぱなしの仕事の合間に、Nさんの仕事を少しづつ手伝わせてもらうことができた。

 Nさんはこの店の子飼いの人で、この新しく建てられた新館のビルの前、本館といわれる店の時から勤めていて、10年位 のキャリアがある。 新館になって入社してきたフランス料理のシェフはじめ、そのグループの中にも加わらず、また進駐軍帰りの洋食屋グループにも入らず、会社とこのコックたちの間にうまくおさまっている感じの人だった。倉庫などの「カギ」も持っていたり、伝票などもまとめて事務所に届けるのも彼の仕事である。 3回の「総あがり」をしたフランス料理の歴代のシェフとその仲間たちも、わからないことは全てこのNさんに聞くのであった。


 シェフが変わっても、「メニュー」はそのまま引き継がれるので、当然全てを知っているNさんが中心になっていたのである。Nさんは感情の起伏もなく、とかく忙しくなると、どなる声が多い調理場の中にあって、静かに、早く、そして適格なる仕事をするので、自然とNさんの近くで仕事をするようになる。

 オードブルの盛り付け、スープを運ぶ、サラダの盛り合わせ、ドレッシングを器に入れる。それらを「窓口」 へと運んで行く。飛び回るように動いても、Nさんの仕事にはついていけないのである。この職場で時々おこる珍事の「総あがり」に対しても、Nさんはクールに受けとめていた。慌てる様子もなく、その人たちを見送り、そして新しい人たちを迎え入れているのであった。

 Nさんのすごいところは、一度にフライパンを5、6ケ扱うことであった。鶏肉ときのこを炒める。フライパンをオーブンの中に入れると、オープンに入れてあるサーロインの厚焼きを取り出して、焼き脂をスプーンですくって一気にふりかけ、再びオープンに入れる。隣のオープンには仔羊のローストである。ローズマリーとミルポワ(香味野菜)を上からかぶせ、オープンに入れる。別 のフライパンには、マッシュルームと共に、串にさした仔羊の腎臓を焼いている。フライパンがオーブンの中に消えると、ストーブの上にあるシチューの鍋の味をみて、仕上げのブランディを入れる。 それぞれの料理につけ合わせの野菜がついて、次々と仕上がった料理にソースがつけられると、この料理を窓口まで飛ぶような早さで運んで行くのである。

 料理が手品師によって「パッパッパッ」とあざやかに出来上がっていく様子は、追い回されて仕事をしている見習いの私にとっては目を見開き、口を開けて「びっくり」の連続であったのだ。少しづつその動きが分かるようになるまで、それからずいぶんと時間がかかるのであるが、それらのスピード、そして流れるような仕事の正確さは、全て経験と「勘」による動作である。これに気づくにはあまりにも自分は無知であり、仕事が未熟であった。

 Nさんには、もうひとつ素晴らしい特技があった。テール(牛尾)の残っている、産毛をカミソリで剃り落すのであるが、床屋さんが行なう「ヒゲソリ」そのものであって、実に見ていて気持ちがよい。

 仕事にはこのようなリズム感と流れがあることに少しづつ気がつき始めた「15才の見習いコック」だった。

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