うまい料理を食べることは、人生最良の一場面といえる。 人生を料理に賭けてきた「三鞍の山荘」の今井克宏シェフが語る「Un bon plat」アン ボン プラ(うまい料理)。食卓や料理の話題を取り上げてもらいます。



働く後ろ姿


 昔はこうだったと説明すると「そんなの古いよ」「今の世の中じゃありえないことだし興味ないよ」と一方的に聞こうとしない若者に対して伝えておこう、という健気な気持ちも私にはある。しかし、昔の事を書いているとやはり古いし、そんなことはどうでも良い気がする。しかし、忙しいから出来ませんよ、仕事以外に何も自分のことは出来ません…と答える若者にはこのコラムをぜひ読んで参考にしてもらいたい……という私もいいかげんなもので、読もうが、どうしようが別に気にしないで勝手に文字を並べている。

 昨年、中学校に行ってわずか一時間の講演をした。一時間はあまりに短く「夢」を語ってくれというのには無理で、話をしたいことが途中切れであった。そこで「この続きは私のホームぺージ」を見て下さい…と言って帰宅すると、その夜のうちに私の思っている夢についてホームページに書き込んだのである。これが思わぬ 反響をよんだ。「面白かった」「夢が近いものだった」「感動した」「次のページを読みたい」などファックスや手紙、また山荘に来るためにホームページを開き読んだたくさんの人から「いいですね…」「楽しいですよ」…という言葉をもらったのである。自分としては生徒達へのメッセージのつもりだったが、生徒達も先生もそして関係のない人たちまでホームページを見ることによって「夢」の読み手になってくれたのである。


※写真はイメージです

 私には仲間もいる。昔30年前に働いた仲間たちが「ムッシュウの夢を読みました。私ははじめて知りましたよ」「ムッシュウのプロフィールも私の思っていただけでなく、もっとこのホームページを見て知りました。ムッシュウは何も言わなかったですからね…」という。自分の過去について話をするということはほとんどないし、必要がない。しかし、これ程面 白がられたら、私の過去の話をしてみようという気持ちになってきた。私の青春時代はこんなことがあったんだよ……なんて、ちょっとバカげた話になるかも知れないが、このコラムなら何でも書けるような気がする。

 仕事に追われる。仕事に全神経を向ける。これは当り前のことで、この気持ちを持ち続ければ立派に技術を覚えて一人前のコックとして成功する。それには職場で覚えたことをすぐその日のうちにノートに書いておく。まとめて書こうなどということは書かないに等しいので一日一日をしっかりまとめておく、これが大切なのだ。さて、これは分かっているのだが実際に実行することは難しく横になったら一日の疲れが出てきて寝入ってしまうのが毎日であった。

 朝の仕事始めは、8時。この時間前後に調理場に入ればよいのだが、私には自分の仕事をする前にやっておくことがある。ストーブに立って仕事をする人を「2番さん」と呼ぶ、副料理長(スーシェフ)なのだが、まわりでこう呼ぶのでこの「2番さん」の使うS、P缶 (塩、胡椒)の穴を一つづつ「つまようじ」で刺して通りをよくして使い易いようにしておく。タオルで磨いてピカピカにする。次にまな板やフライパンをおく台をきれいに掃除しておく。以上のことは「やっておけ」と言われたのではなく、そうすることによって洗い場以外の仕事に近づいているという気分が自分にあったからである。少しでも先輩に近づき声をかけてもらう、仕事の手ほどきをしてもらう…という野心もあったが、自分で出来る事をしておくというのは気分が良いし、楽しかった。

 朝早くから夜遅くまで仕事に追われる(私は仕事を自分で追っていると思い込んでいる。)毎日であったが、誰よりも一番早く調理場に行って自分の仕事以外の事をやっておくのは最高の楽しみであった。楽しいことをやるのであるからずっと続くのである。これ程までに調理場に入りびたっている自分だが、一日4〜5分間だけ調理場を抜け出すことがある。午前中、しかも10時10分頃「パン」を届けに来る若い女の子がやって来る。パンの入ったバスケットを両手に持って調理場に来ると、このパンを受け取る役目がいつの間にか自分になった。勝手に自分がやったというのが正しいのであるが、青春真っ最中の自分にとって、この可愛い女の子とのちょっとしたかかわりがまた実に楽しいのである。この女の子が調理場から消えると約5〜6分後「トイレに行ってきます…」と言って前掛けを外し、裏口の方へ一目散で走っていく。裏口から出た女の子を追っかけて行くのである。追いついてから一言、「ごくろうさん」といって声をかけ、女の子がにこっと笑うと、それにつられ自分も笑い「じゃ又ね」と言ってきびすを返すと、裏口のトイレに向かって走っていく。忙しくて何も出来ない。恋をする暇もない。女の子と話をする暇もない。この「ないづくし」は私にとってはタブーで、わずかの時間は私に青春の血をわかせてくれるのであった。

 毎朝、声をかけあって、わずか二人だけでは2〜3分もない少ないひと時だが3ヶ月程続いたあと、ジ・エンドになった。ある朝、パンは中年の女性(オバサン)が持ってきた。その日を境に女の子は来なかったのである。「田舎に帰った」ということを聞き出したのは一週間経ってからである。この女の子とは一度「日比谷公園」に休日遊びに行ったのが唯一のデートであった。この時の会話で「アナタの仕事をしている‘ウシロスガタ’が良い」と言われたことが自分でも気に入り、鏡で後ろ姿を見たことがあるが、自分ではあまり良いとは思えなかった。今でもそうだが、洗い物をする時が仕事をしている時で、一番好きなのもこの思い出がある故かも知れない。忙しくとも恋する心は持つことができるのです。

 青春を燃やせ!そしてアプローチしろ!人生仕事ばかりではない!自分を大切にしたいものである。

 …あっ忘れていた。このデートの時、二人で食べたのが甘納豆であった。わたしの大好物である。

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