70年前後のマイルスの電化は、音楽の進化か、それとも商業化か !?


★1970年前後の時代は新しい時代への幕開けの時代であった。ベトナム戦争中の 1967年頃より、アメリカの若者た ちの間から起こったムーヴメントで世界中に拡がっていったヒッピー運動。このピッピ−は愛と平和の象徴として花で身体を飾り、フラワー・チルドレンとも呼ばれたが、 このピッピ−たちが集った69年の 8月中旬の3日間、ニュー ヨーク郊外ウッドストック、厳密には ベゼルの丘で開催された反戦と愛と平和をテーマにした"ウッドストック フェ スティヴァル」には40万人を越える人々が集まり、ジャニス ジョプリンの歌声やデビュー間もないサンタナや、ジミ ー ヘンドリックスのギターのエキセントリックなアメリカ国歌に、観客は熱狂したのだ。史上初の「愛と平和と音楽」のビッグ イヴェントになったのは 余りにも有名な話だが、この前年の68年とこの年、ジャズの最大のイベントである ニューポート ジャズ祭は、不吉な予感が漂っていた。会場に入れなかった群集がフェンスを破って乱入するハプニングが起こったのだ。それは、主催者のジョージ ウィーンが 今までよりさらに多くの若者を集めるため、ロックのグル ープ(スライ&ザ ファミリー ストーン、 ジェフ ベック、 フランク ザッパやレッド ツェッペリンなどなど)をプログラム に組んだからだった。
★70年のフェスティヴァルは、特に問題はなかったのだが、71年になってついに最大の問題が起こる。会場を取り巻 いていた若者がフェンスを壊し、乱入、暴徒化して、あるものすべてを破壊した。警察は催涙ガスを打って鎮めようとした。ニューポート市がフェスティヴァルの中止命令を出すという事態になり、翌年の73年から会場はニューヨーク市に移ったのはご存知の通 りだ。
★70年には、他に世界最大のポップ フェスティヴァルがイギリス南部のワイト島であった。 8月26日(水)〜30日(木)ま でで延べ60万人集まったという。後に(*1)、出演アーティストを掲げてあるが、土曜日には マイルス デイヴィスがチ ック コリアとキース ジャレットの 2人のキーボード奏者を伴ってセプテット(7人編成)で出演する。それも非常に話題になった訳だが、それ以上にこのフェスティヴァルは「フラワー ムーヴメント」の崩壊を世に知らしめたイヴェン トとして語り継がれることになったのだ。マナーも悪く、騒然とした会場の中で、ジョニー ミッチェルはステージ上 で観客に向かって涙声でたしなめたり、演奏できなくなったプレヤーや、演奏を止めて怒って帰ってしまうプレヤーがいたり、名演したジミー ヘンドリックスが20日後に他界することになったりと散々なイヴェントとなったわけだが、 マイルスの演奏には ロック ファンも大歓声を挙げたという点で ジャズ新時代の到来を全世界に知らしめたのだ。
★さて、本題に移ろう。マイルスが初めて電化したのはアルバム「マイルス イン ザ スカイ」(68年の1月と5月に録音) ということになっていたが、67年の12月4日のセッション、つまり「サークル イン ザ ラウンド」(何とこのアルバムは 79年になって55年〜70年までの未発表曲を発表している)と、67年12月28日録音の「ウォーター オン ザ ポンド」が あった。この曲も81年にアルバム「ディレクションズ」の中に登場するのだ。何と13年も経ている。しかし、これらの曲が「マイルス イン ザ スカイ」で結実すると思いきや、このグループではマイルスの考えている新しいコンセプトを表現できないとみたのか、ロン カーターとトニーウィリアムズをデイヴ ホランドとジャック ディジョネットに代えて 行く。そしてエレクトリック キーボード(フェンダーローズやフェンダー オルガンなど)を2人3人と増やして行くのだ。 そしてビートのグルーヴ感にメスを入れていく。アフリカン ポリリズムから、シンプルなロック ビートへ。刻々とマ イルスの音楽は変化し続ける。重要な革新は、コード進行の概念を捨て、低音のモチーフから発展させて行くという実験を重ねているのだ。これは進化か? それとも「ロック」と「ソールからファンクへの時代」へのコマーシャライズなのか? という問いに答えねばならない。
★今、はっきり答えられるような未発表だった「ライヴ イーヴィル」のコムプリート判 ともいえる「セラー ドア セッシ ョンズ 1970」の新発表によって、ワシントンDCのセラー ドアでの 4日間ライヴの全貌が分かって来た。68年の「イン ア サイレントウェイ」から、69年の拡大セッション「ビッチェズ ブリュー」を頂点としながら、70年の「ジャック ジョ ンソン セッション」さらに夏の「ワイト島フェスティヴァル」12月末の「セラー ドア」と、この時期のマイルスの変貌 の過程が手に取るように分かって来たのだ。しかも、マイルスはこのセッションを通 して、自身が語ったことは「過去 共演したミュージシァンの中で、最も凄いやつはキース ジャレットだった。」と語っているようにチックの後、ひとりで フェンダー ローズとフェンダー オルガンを同時に駆使し、現在のキース ファンの度胆を抜くのだからたまらない。
★マイルスはより若者に受け入れられる音楽を模索していた時点で、コマーシャルに向いていると思われがちだが、私は、マイルスの新しい音楽を貪欲に追求する姿勢に感動を覚えるのだ。80年代ポップに振ったマイルスは、70年代のマイルスとは異なる。 ‥‥‥‥ジョン マクラフリンのエレクトリック ギターとキース ジャレットのフェンダー ローズに 身震いを感ずるのは私だけではあるまい。 ‥‥‥‥ 

 

註1.  1970 ワイト島 フェスティヴァル プログラム(順不同)

WEDNESDAY
2:30-11:00pm
ROSALIE SORRES
JUDAS JUMP
KATHY SMITH
RED BONES
KRIS KRISTOFFOSON
MIGHTY BABY
THURSDAY
1:00-11:00pm
SUPER TRAMP
EVERYONE WITH
ANDY ROBERTS
HOWL
GROUNDHOGS
CACTUS
TON JOE WHITE
FRIDAY
1:00pm-0:00am
FAIRFIELD PARLOUR
LIGHTHOUSE
ARRIVAL  TASTIE
MELANIE  FAMILY
PROCUL HARUM
CHICAGO
VOICES OF EAST HARLEM
SATURDAY
11:00am-0:00am
CAT MOTHER  
JONI MITCHELL  
MUNGO JERRY
TEN YEARS AFTER
JOHN SEBASTIAN
THE WHO
MILES DAVIS
SLY & THE FAMILY STONE
EMERSON LAKE &PALMER
DOORS
SUNDAY
10:30am-0:15am
GOOD NEWS
LEONARD COHEN
RALPH McTELL
JETHRO TULL
TINY TIM
MOODY BLUES
DONOVAN
JIMI HENDRIX
PENTANGLE
JOAN BAEZ 
HEAVEN
EVERLY BROTHERS
RICHIE HAVENS


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