03月25日

  レストランのベランダの分厚い木のイスに座りモーニングコーヒーをのむ。目の前の「ミヤマキリシマ」は一回で1/3が開花した。1cmぐらいの「つぼみ」が3cmの大きさに広がって花になる。紫がかったピンク色は、まだ葉をつけぬ 木々の中で、そこだけが「花まつり」のようだ。このミヤマキリシマを見降ろすように立つ樹齢100年の桜の開花はまだであるが、例年より4〜5日早まるようだ。この桜の大木は、その咲きかたが気まぐれで予想はたたぬ が、その「つぼみ」の多さから見ると今年の花見は楽しめそうだ。花を楽しんでいるうちに、いい香りがしてきた。どうやらクロワッサンが焼き上がったようだ。

〈思い出に残る食事会〉
  山荘の近くにある三倉小学校の卒業式、卒業生、7名の小さなお別 れである。それぞれの父兄が加わり総勢14名の食事会が山荘のレストランで行われた。にぎやかに、はしゃぎあう主役たちは、まるで兄妹のように仲が良い。この仲良したちは、やがてそろって地元の中学校に進んでいくのでまだ続いていく思う。今日の食事会が楽しい思い出となって残ってくれることを祈りながら、最後のデザートをつくる。

 

 

04月02日

満開の桜に無情の雨がふりかかる。
せめてもう2-3日このままにしておくれと祈る。
通常では「ミヤマキリシマ」の花が散りはじめたころ、 桜の花が咲きややおくれて「山ざくら」が咲く。ところが今年は一度に花が咲いたのでにぎやかな風情となった。それを感じたまわりの木々もいっせいに芽ぶきはじめた。
なきおくれた「ウグイス」がさかんにホーホケキョウと レッスンをしているが美声を聞かせるまでにはもう少し時間が必要のようだ。

 

 

04月03日

今日の山荘のおとまりの主役は99才のおばあちゃん。 孫やひ孫が かけつけて総勢45名。各部屋のベランダから元気な声が聞こえてくる。
白寿のお祝いのディナーがもうすぐはじまる。
ライトアップされた桜の花も満開で祝ってくれている。おばあちゃんの大好きな「焼きプリン」も出番を待っている。

 

 

04月10日

 ヒラヒラと舞い落ちる桜の花ビラが、ベランダに積もって季節別 れの花模様をつくる。今年もたくさんの人を楽しませてくれた桜の木々よ、ほんとうにありがとう、ごくろうさま!!

 花咲く日のひんやりとした肌寒さは、日だまりとの温度差の中でかえって気持ちがよい。まだねむりからさめやらぬ 木々にと、早い芽吹きをさそっているようだ。新緑一色になる日も近い。
 花冷えの中を「めじろ」の一群が通 り過ぎたが、その動きはすばやくなってきた。
 今日の仕事は朝食用のジャムを甘夏でつくり、瓶詰めにする、楽しい「味づくり」の一日である。

 

 

04月13日

 最後まで残っていた桜の花びらが下から吹いてくる強い風にあをられて、ついに枝からはなれ、そのまま風に乗って谷間の方にとんでいった。桜の季節は、ついに終わった。木々には、やわらかそうな葉がつき、次の出番にそなえている。まだ、新緑ではなく、うすみどりの若芽、やがて色づいてきて、青さが増し、新緑・深緑へと青葉の季節となっていく。

  たけのこは、掘りたてをゆでる。甘味があって香りが楽しめる。小さめは、かつをぶし・ワカメなどであっさり味。大きめのものは、煮込みこんで仕上げに「ごま油」でからめるとおいしくなる。朝食のメニューの仲間は、ワラビの「油アゲ煮」も加わって、にぎやかになる。

 

 

04月19日

 ベランダの木のテーブルに座り前方の山を見る。黄色・赤・ピンク・うすみどりと配色が美しい。それぞれの木々が芽ぶき、若葉をつけ、その葉の色が変化していくため、毎日が色がわりをする。スケッチをしてみようと絵筆をもつが、どのかなその風景に見入ってしまいただ、ながめるだけの方がよさそうだ。 この時期の古茶をのむ。この苦みがさらなるおいしさとなるのを自然の中で感じる味覚のたのしさであろう。新茶の味わえる季節がそっと近づいてきている。

 

 

04月24日

 山荘を建てた10年前、山奥から移植した木が、20本程ある。うまく根づかなかったのが数本あったが、この10年でそれぞれ大きく成長した。「もみじ」「かしの木」「みつまた」「つばき」「山ざくら」・・・などであるが、季節には色づいたり、花をつけたりして、来荘のお客様を楽しませてくれている。今年も桜の開花に一喜一憂しているときには気がつかなかったのであるが、桜が散ったある朝、この移植した木の中の1本に華がついていることに気づく。「さて、これはなんの木だろう」来荘のお客様とも話題になるがわからない。地元の人に聞くが誰もわからない。新緑の葉の枝に小さな花が無数についている。ふぁふぁという感じの白い花である。細長く花ビラ全体が花のようで、さわってみると綿のようでやわらかい。なんの木かわからない。まま花は満開をすぎ、色が白から黄色に変わるころ、やっとその木の名前がわかったのである。「なんじゃもんじゃの木」(正式名ヒトツバタゴ)この木がたくさんある岐阜県の「ひるがの高原」が有名である。・・一度聞いたら忘れない名前である。
  落語のオチみたいな名前に、「えっ本当ですか?」と一応は疑いながら聞き返されるが、「そうです、“なんじゃもんじゃ”の木です」というと、「う〜ん、なんじゃもんじゃね・・・」皆さん、あらためて散りはじめたこの木を見上げるのである。
  ことし、花をつけてくれた「なんじゃもんじゃの木」よきことの前ぶれのような気がする。山荘のまわりの木々、さらに深緑へと近づいたようである。明日の朝食、クレソンの「キンピラ」が仲間入りでる。

 

 

04月28日

 昨年の台風で、県道が崩れ、その修理工事のため、約6ヵ月間通 行止めになった。その間、山荘への林道が迂回路として使用され、自家用車の他に工事関係の車がひっきりなしに通 った。普段は静かな山荘への道路は、地響きをたてたトラックが黒い排気ガスを出しながら登っていった。冬から早春へかけての季節のせいもあるが、この間、小鳥たちの鳴き声や枯れ木にとまってのエサつばみを見られなかった。そのけたたましい音におびえたのか、時々みかける「鹿」や「うさぎ」「たぬ き」「いのしし」「きじ」まで姿を見せなかったのである。
  工事は終わり、山荘への林道は静かになった。木々にも新緑の葉がつき、今深緑になった。小鳥たちのさえずりがのどかに聞こえる。小動物たちを見かけ、興奮したお客様の声に、ほっと安らぎを感じる。散歩が楽しい山道である。デザートに使用するグランマニエの香りが一瞬、藤の花の香りと混ざってカクテルになった。

 

 

05月05日

 藤の花が下に下がって咲き、桐の花は上に向かって咲く。ゴールデンウィークにあわせたように紫色の地味な花をいせいにつけた。見上げるような重さ10メートルの木の上にあるので、うっかりすると見過ごしてしまうが、なんとも言えぬ 甘い香りをさわやかな風にのせて運んでくれる。
 杉林には、たくさんの「射干(シャゲ)」の花が咲く。日陰に咲くアヤメ科の多年草は、白色に紫色のぼかしのある花が咲く。「山荘」のまわりは、新緑と花が楽しめる。
  「ウド」の皮をあつくむき、白いところは、「サラダ」に使う。にがみのある皮はさっと湯どうしをして、水でさらし、油で炒、めみそ味で煮込む。朝食…あつあつのごはんにのせて食べる人あり。「うまいもんだね…。へえ、うどなの…。もう一杯ごはんを食べようっと…。」山荘の朝食のメニューは「地味」なのです。

 

 

05月11日

 ピーと一声だけ鳴く鳥は同じようなリズムで夜通 し鳴いている。力強い声ではなく、弱々しく聞こえるが、その鳥の名は分からない。朝いっせいに鳴いている鳥たちとは異なり暗闇の中で聞こえるので「名をなき鳥の一声鳴き」の正体はまだ分かっていない。地元の人に聞いても「なんだろう…」あまり気にしていない。 毎年「田植え」の頃に大きな声で鳴く鳥の名も「そうだねぇ、今頃鳴くんだよ」くらいにしか気にしていないのだ。要するに、自然の中にいると気にしないのが当たり前で、それが自然なのである。
 4〜5日前、カラフルな羽根をつけた「インコ」が茶畑の上を飛び回っていたが、どことなく自然ぽくない動きをする。飼っていたのが逃げたか、放たれたのだろう。山荘の坂道にたくさんの野の花が咲いているが、この可憐な花たちの名を知らず、この花とたわむれる。小さな蝶の名もわからないが、それを気にはせず共に初夏を楽しんでいるのである。今日も空気がうまい。

 

 

05月18日

袋井インターより車で30分、遠州森町に入り、森川橋を渡り右に三倉方面 へ進む。太田川の交流、吉川と三倉川の合流地点を左、三倉川にそって約10分程来ると、宿場町三倉に着く。Tの字を右手、川根方面 へ進む。5分程で「三鞍山荘入口」の看板が見える。右手、林道に進んで山道を登る。約2分。山荘の建物が見えてくる。
初めて山荘を訪れた方たちのお言葉、第一声が「いや〜、大変な所ですね」。やがて、レストラン棟に入り、そしてベランダに出て前方の山並を見ると「いや〜、すごい所ですね」。言葉のニュアンスが少し変化してくる。部屋へと案内するころはやたら山とりごちが多くなる。「空気がおいしい…鳥の声がいいね…のどかだねぇ…」。夕食までの時間を部屋の中ですごしたお客様は、気分がすっかり山の自然と一対になっている。 夕日が沈む頃に見せる山並の黒いシルエットが見えなくなる頃、レストランの中でフランス料理のディナーが始まる。ゆったりとした食事の時間を楽しんだ後、レストランから一歩戸外にでると、木々の中で冷やされた空気がワインでほてった「ほほ」をなぜていく。 夜の「山荘」は日によって大きく変化する。無数にきらめく星の夜空は、両手ですくえるほど近くに見える。木々の間から見え隠れする月には、いろいろな形がある。雨の日に霧でかすんで見える宿泊棟は幻想的だ。 ネオンきらめく夜の街からわずか一時間ほど山の中に入ってくると、そこには都会にはない「なにかがある」。自然だから何もない。何もないから、本当の自分に戻れるのである。そんな「山荘」でありたいと願いつつ、自然を愛するあなたを待っている。 朝から降り続いた雨は、午後にはやんだが、「桐」の花がすっかり落ちて坂道に花のじゅうたんをつくった。調理場からはパンを焼いている香りがする。

〈お客様のお声〉
ディナーのあとで。 「今日は娘達に連れられて来ました。フランス料理は初めて食べましたが、さっぱいりしていて食べられるもんですね。今夜は完食です。」そばから娘さんが「母は普段はあまり食べないんですよ。よかった連れてきて。」 娘さん3人に囲まれ手をつないでお部屋に戻っていく。それを見送る今夜の月は満月に近い。翌朝、朝食がすみ、「ゆっくりさせていただきました。おいしいお食事と思い出を頂きました。ありがとうございました。」とご丁寧なあいさつを頂く。そしてそっと手渡された一枚の紙にお気持ちが書かれてあった。
「天までと 届くかと思ふ み倉野に 子らと一夜の宿り清しも  久美」

 

 

06月01日

昨年の秋、友人Tさんのアドバイスで、レストランの入り口に花壇をつくった。パンジーは冬場に強く2度の積雪や霜にも耐えて春を迎えた。冬の間は、花壇の中には雑草が生えないので、それ程手間がかからなかったが、春になると雑草との戦いになった。
つい仕事の忙しさに、ほっておくと雑草の方が花より目立ってくる。毎日、水をあげることと、雑草をとることは大変な作業である。好きでなければ出来ないことである。しばらくすると、雑草にも花がついてきて、これがまたなんともいえない可愛さがある。可憐な小さな花をつんでしまうのはなんとなく気がひけるようになる。花壇の中には花と雑草が同居して「自然なり」とひとり悦に入る。しかし、花を愛する人はたくさんいる。花壇の中に雑草があるのは「ゆるせない」とばかり雑草を抜いて、散りかけた花ビラまでもきれいにとってくれる。その手際のよさには驚く。「あっ」という間である。
「あの〜その雑草の花、残しておいて下さい」…とも云えず 、
「すみません、お手を汚させてしまって…」…残念なのである…。
雑草というか「野の花」にはそれぞれ名前があることを知ったのはつい最近である。名のない花はない。名の知らぬ 花が坂道に咲いている。ピンク色した小さな花だ。隣にはうす紫色のコスモスに似た花が咲いている。この花の名も知らぬ が、花壇の中からは抜かれてしまったが、その仲間がいっぱい咲いている。花壇をつくったので、雑草の花にまで気をつけるようになった自分は、自然の中の様々な生命をまたひとつ感じられるようになった。その気持ちでいると、野の花の咲く坂道に「きじ」の子どもが一羽「えさ」をついばんでいる。近づいても気にせず逃げようともしない。さわやかな風がそんな私たちにふれて通 りすぎた。
-山荘のベランダに座り、摘み終わった茶畑を見ながら「新茶」を飲む-遅霜被害も少なくてすんだようだ-

 

 

06月15日

笹ゆりの花が散り、小鳥のさえずりにもなんとなく元気さがない。梅雨に入ったからだろうか。降ったりやんだり、思い出したように降る雨はもう三日も続いている。前方の山荘には霧がかかり、その動き景色が変わる。この雨のおかげで木の葉の色がさらに濃くなった。昨年の秋の落ち葉をぬ らし、さらに地面にしみ込んでいく。地の中にしみた水はたくさんの地層を通 り、ろ過されてやがて岩の間から清水となって散ちてくる。そのサイクルの期間はどのくらいなのかわからないが、散ちてくる水の量 に変化がないのと、山荘のまわりの山全体が貯水のための保安林になっているためである。守られたこの薄い水は山荘の料理においしさを与えてくれる。朝食のごはんがおいしく炊けて、味噌汁にも味の変化があり、素材のうまみを引き出し、塩分がひかえめに味付けできるのである。水のありがたさを感じながら、降りつづく雨をながめている。おいしく出来た「イチゴ」ジャムをクロワッサンにつめて、香り高いコーヒーをのむ午後のひとときである。

 

 

06月17日

昨夜降った雨の恵みをたっぷりと吸った木々が梅雨の晴れ間にからだ干しをしている。呼吸する木々に香りづけられた空気がうまい。小鳥たちもほっと一息。さえずりにも明るさがある。今日は月曜日、昨夜のお泊まりの方たちの朝食をつくりおえ、ほっとするひとときである。コーヒーを手にベランダにでる。忙しいときのほんのひとときだが、この空気を吸うと、自分の身体のすみずみまで入り込み、エネルギーとなってくれる。実に爽やかな朝だ。自然の中にいる幸せを小鳥たちと共有し、さえずる声にあわせて小さく口笛を吹く。とても彼たちの美声にはかなわぬ が満足感はいっぱいである。さあ、お客様の朝食の時間だ。和食中心の「からだにやさしい」27種類の料理が並んでいる。昨夜はフランス料理、朝食はバイキングのおもてなしである。「ボ、ナ、プ、チ」…フランス語で「お召し上がりください」

 

 

06月21日

梅雨空に、ぽっかりと青空の鳥ができた。落ちゆく夕陽が名残惜しそうにそっと光をくれた。山に冠った霧に、その光が届いて、うすピンク色の幕ができた。うつくしい梅雨時の自然の姿である。里から2羽のカラスが帰ってきた。たっぷりとさえずった小鳥たちも、それぞれのねぐらに帰っていく。これから、山荘のディナーがはじまる。オードブルの「季節のサラダ」の盛り付けがすみ、調理場に活気がでてきた。焼き上がったロールパンの香ばしいにおいが次の出番を待っている。

 

 

07月05日

「ほたる」を見たいというお客様を、夕食後、三倉川上流まで案内する。「ほたるの乱舞」が見られる場所として噂には聞いていたので興味があった。「ほたる」についての下調べをせずに現場に来たのが間違いだったようで、見えない「ほたる」に「こっちの水は甘いぞ」とせつない歌声(?)だけが川原に響く。この声にあわせたように、暗闇の中で「カジカ」が鳴いている。「ほたる」との面 会が果たせぬまま、あきらめて引き返そうとした時に、顔見知りのお菓子問屋の御主人がバイクで通 りかかり、「ほたる」がいないと「がっかり」ムードの一行を見かねて、「もう少し奥の方まで行ってみよう」と道案内をしてくれることになった。支流へと山道を10分程進んで、目的地についた。夏になると、「キャンプ」もできる場所で昼間であれば、景色のすばらしい所であれば、周りは真っ暗やみで何も見えない。一行は、御主人がすすめる橋の中央に集まって、ひたすら「ほたる」の姿を探し続けた。やがて、御主人の言葉が水の流れの音と共に聞こえてきた。「1週間遅かったなー」残念がる一行をなぐさめるように、二度三度と同じ事を云った。「ほたる」は、1週間前は、確かに乱舞していたようだ。自然の中の1週間は大きい。今年は、春の花の開花も1週間の差があったし、台風の日本上陸も、いつもより早かったのだ。自然の中のそれぞれの営みは、この1週間に適合して動いている。しかし、我々は「こよみ」通 りで考えて行動している。このあたりがせっかく「ほたるの乱舞」のシーンを見ることが出来なかったのである。来年は、必ず見ようと思いつつ帰荘したのである。朝の食卓に「おいしくできた夏ミカンのジャム」を出して「ほたる」のかわりにしよう。

 

 

07月09日

梅雨があけたのか、まだなのか、はっきりしない日が続く。台風の影響で、ぐづつくという予報が出ていたが、そのせいかも知れない。朝から降ったりやんだりしていたせいか、「ほおじろ」が一羽、わたしの部屋の中に入ってきた。迷い込んできたという表現すべてかも知れないが、この山荘では、いろんな鳥が入ったり、出たりするのである。山荘の建物は、レストラン棟は除き、一棟が2部屋づつある。この一部屋が15坪位 の大きさがあり、畳敷、板張りの床になっている。この広さは、4〜5人の大人が乗っても余裕のある大きさである。私たちスタッフは、この建物5棟ある中の中央の棟で個室が6部屋あり、中央に大きなテーブルとテレビや大きな天体望遠鏡、ステレオ、本箱などがあったりする。すなわち、スタッフの部屋はゴージャスな造りになっていて、毎日、別 送に泊まっているような気分なのである。この部屋に今日のお客「ほおじろ」がやってきたわけである。部屋の中に入ってきて、ガラス越しに見る反対側の景色は、山並であるので、そのまま通 り抜ければ自然のバードロードなのであるが、今日はあいにく、雨が降っていたので窓の1ケ所は閉まっていた。羽根の色つやからして若い「ほおじろ」と見た。彼は部屋の中に飛び込んでは見たものの出口がない、さらに部屋にいた私にびっくりしたのか、すっかりパニックになってしまい閉まっているガラスに体当たりをしている。「よしよし、分かったよ。今、出してやるからな。あわてるなよ、そうそう、こちらから出なよ」と話し掛けながら、閉まっているガラス窓にはカーテンをそっとひいてそちらに行かないようにして、開いているガラス窓の方に誘ってやる。バタバタと必死に逃げようとするので、安全な方から離れてしまったが、2.3度同じことを繰り返しているうちに、ついに出口が見つかった。「チチッ、チチッ」と鳴きながら彼は飛び去っていった。今までバタついていた木の床下の上には、白っぽい「ウンチ」の置き土産があった。その中に小さな青い虫がまだうごめいていた。食事の途中に部屋の中に飛び込んでしまったのだろう。また霧のような雨が降ってきた。咽の渇きに気がつき、冷やしてある水をのむ。山の水は実においしい。自然の恵みに深く感謝する。

 

 

07月15日

毎日あつい日が続く。梅雨はまだ明けていない。休日を利用してスタッフと一緒に海を見に出かけた。山奥にいると海を見たくなるのは自然への欲求であり、海の幸を食べたいとの食欲でもあった。浜名湖大橋を通 り気持ちのよいドライブである。渥美の方まで来たのは、知人が近く開業するリゾートホテルを見学するためでもあったが、遠州灘の雄大な海岸線を眺めながら、海岸の食堂で食事をするのが唯一の目的であった。「さしみ」で食べた「みる貝」と「焼き大あさり」がおいしく大満足であった。この定食を食べにくるだけでも価値はある。食事の後、海辺の公園に立って、水平線を眺める。遠くから白波が岸に向かって進んでくる。あとからいくつも続いて白波はやってくる。海水をふくんだ風が身体にまつわりつき、手から肩までの肌にベタッとした感じを与える。砂浜には水遊びをする人たちも見えるが、まわりの熱気のため涼しさはなく、何組かの人たちが同じ景色を見にやってくるが、2、3分ですぐその場を離れていく。近くに止めてあった車の中に入っていった。かけっぱなしのエンジン音はクーラーがつけっぱなしであったことがわかる。
※私は一時期、海に憧れ、バリ島に通い続けたことがある。バリ島には不思議な魅力があったが、日中の暑さに閉口した。海岸を離れ、ウブトーなどに行けば涼しさもあったが、バリ島で海から離れたら、わざわざ行く必要はなかった。今、遠ざかっているのは、この日中の暑さのためでもあった。
※遠州灘を眺めるこの景色は、すばらしくいつまでも眺めていたかったが、流れ落ちる汗がさらに肌にべたついてくる。久しぶりに見る海の景色に見切りをつけ、帰路につく。約2時間でインターをぬ け、山の尾根を走る農道に入る。つけっぱなしであったクーラーのスイッチは、山に近づくにつれ「強力」から「中」になり、そして「OFF」になる。窓からの空気が実にさわやかである。いつの間にか、肌にまとわりついていた汗は消え、窓から入り込んでくる風が、手もとまで涼しくしてくれる。車道のまわりの木々に空気が冷やされていることが、はっきり分かる。海辺で塩分まじりの空気にふれてきたばかりなので、山の空気の違いをはっきりと感じることができる。納得した気分で車は山荘への林道に入っていった。海辺の食堂で食べた海の幸のおいしさは、しばらく忘れられない味覚の想い出となって残るだろう。

 

 

08月01日

梅雨があけてから雨が降らない日が続き、野菜への影響が心配だったが、ときおりやってくる台風が雨をもたらしてくれる。被害がなければありがたいが、各地に「おきみやげ」を置いて行くので、これも自然のもつ非常な一面 である。
「かじか」が鳴き「山ゆり」が咲き、そして散る。そのころから「セミ」が鳴きはじめる。やがて「蝉時雨」となって夏本番となる。子供たちは夏休みに入る。 「山荘」の日中のあつさは、平地と変わらぬが、朝、夕は、ひやっとした涼しさがあって気持ちがよい、夕食後部屋へもどる坂道の草むらでは、「こおろぎ」が鳴く。キリギリスの種類は多い、日増しに鳴き声が多くなっていく。耳を澄ましてその数をあてる。わずかな時間の心やすまるときでもある。 小鳥も加わっての「山荘」の合唱隊が静かな時がある。真夜中でも何かが鳴いているので、この静かなときは「何をしているのか気になるところだが」………
鳴き声が聞こえぬ程ほげしい風と雨が降る。「台風」の時は鳴いている余裕などなく、身を守るので精一杯なのだろう。木々ははげしく、ゆすられ、身を守る草むらには雨水がたたきつけられる、くぼみに流れこんで、はげしい流れをつくって土を削りとっていく。 自然の恐ろしさを見せつけたあとは、静かな「山」がもどってくる、このときを待っていたように仲間たちはいっせいに鳴きさわぐ。そのにぎやかさには脱帽だ。
「山が鳴く」 そんな表現ができるほど自然の中の「生きもの」たちは、強い生命力をもっているのである。

 

 

08月05日

待望の「高砂ゆり」が開花する。 朝のうちは、まだ、つぼみだったが、 雨あがりの午後、ついに一本の「ゆり」が 咲いた。他の「ゆり」のつぼみも大きく ふくらんでいるので、明日には10本ぐらい 咲くことだろう。
日一日とその数が増して「高砂ゆり」の 山荘になってお客様をお迎えする。 子供たちの夏休みと「高砂ゆり」の開花 が「山荘」をにぎわしてくれるシーズン となりました。

 

 

08月12日

雑草の中で身を隠すように咲く、かれんな「笹ゆり」も美しいが、吹かれる風に身をまかせ、ゆったりとゆれながら咲いている「山ゆり」を見るのも好きだ。 今、この季節には「高砂ゆり」も咲く。 毎年少しずつ増えているので、「山荘」のまわりにはたくさん咲いている。 1本に6〜7ヶの花がついているのもあって、にぎやかな花畑となる。昼の「セミ」しぐれの中で、それぞれが先を争って咲きほこっている。開花した「ゆり」は、同じ方向を向いている。太陽の恵みに感謝するように頭を下げ、少しの風には動じない。 花の命は短いが、子孫を残すべく種子をあたり一面にまき散らす。咲いた花には次なる役目が待っている。 夏休みを利用して続けて御来荘いただくファミリーが夕食のあと「花火」を楽しんだ。 小さな線香花火が美しく暗やみでほほえむのを「高砂ゆり」もそっと見ていた。夜になってさらに冷やされた香りの空気が心地よく、まわりを包んでいる。そしてBGMは「こおろぎ」の「鳴きくらべ」である。

 

 

08月31日

夏の終わりは早い。
うれしくない猛暑の新記録達成。次から次へと週末ごとにやってくる台風。
この台風の気圧の関係で、気温の温度差が大きく変わる。
3度の差があると「セミ」は鳴かず山荘全体が静かになる。
温度があがってくると再び「セミしぐれ」のにぎやかさとなる。
まだ鳴きたりない「セミ」たちにとっては、台風はありがたくないが「セミ」たちにとっては幕引きの瞬間が近づいているのである。
「つくつくほうし」が「とり」を受けもち、雨あがりに合唱をはじめた。秋はもうすぐです。
「山荘」は一足早い秋のメニューです。

 

 

09月02日

「三鞍の山荘」が10周年を迎える。
あっという間の10年である。
35年前、フランス、アルボワのジュネーさんのホテル(ホテル・ドゥ・パリ)で料理修行をしていたときに、今さかんに云われているスローフードを絵に書いたような仕事をしていたこのホテルが大好きで、10ヵ月程お世話になったことがある。野菜畑をもち、そのまわりに広い牧草地があり羊やヤギ、牛、馬、にわとりなどを飼っている。ホテルの残飯や野菜の「くず」をこの動物たちに食べさせ、糞尿と木の葉や麦わらで堆肥をつくり、野菜の肥料にするのである。ヤギの乳はチーズになり、その他、デザートの材料になる。放し飼いのにわとりの卵はおいしく、ボイルエッグで朝食には欠かせぬ ものであった。
この放牧地のまわりを囲むように流れの早い川があり、雪どけの水が流れをつくり、澄んでいて川マスなどが泳いでいるのが見えた。私の楽しみは、時間があるとこの小川の道を馬に乗って散歩することであった。時には馬にケリを入れ走りぬ けたこともある。この時、日本に帰国してこんなオーベルジュがつくれたらいいなーというのが、私の夢として残ったフランスの片田舎での生活であった。この夢が「三鞍の山荘」で実現したのである。
オープン当時はアクティ森のレストランとの二ヶ所での営業でしたが、昨年の夏、12年間お世話になったアクティ森からはなれ、念願のオーベルジュ「三鞍の山荘」だけの営業に専念することになった。
タイミングよく、マスコミ等のおかげで「スローフードの宿」として全国版で紹介され遠方からのたくさんのお客様を迎えることができた。何よりうれしいことは自然回帰としてリピートしてくれる方たちが多いことである。リピーターのなかにはこんなグループもある。彼女たちは女学生時代の同級生、この5年間、毎年夏になるとやってくる。最初の年はグループ(5名)の中のお一人が結婚されていて、この方の出産の前に記念旅行をということで御来荘。翌年の夏は元気な赤ちゃんが一人加わり、グループのムードが一変していた。次の年からは他の人も結婚、そして、出産。ついに5年目の今年は大人5人子供5人のご予約となった。お母様たちの間にお子様たちが割り込んでのにぎやかな食卓となる。並んでいるので誰がどの方のお子様とわかるが、入りみだれると親子の区別 がつかなくなる。母親の親しい人たちと子供心にわかるのか、お子様同士も兄妹のように仲がよい。
年上の子が下の子を可愛がるというなごやかな雰囲気である。食事中も実に楽しそうだ。1才のお子様も席を一度も立たずフルコースをしっかりと食べた。4才の男の子は食卓におかれた料理のにおいまでもかいで「にこっと」笑うのである。無理もない、なにしろお腹にいたときから「今井のフランス料理」を食べていたのだから…
今井の料理はフランスの古典料理である。フランスの調理技術を忠実に守り、日本の人たちに召し上がりやすくしてある。この料理を1才のお子様から100才をすぎた方たちまで時間をかけてフルコースを楽しんでいただいている。オーベルジュとはそんなところなのです。その昔、フランスで夢をみたことが、たくさんの方たちに可愛がられこのようにして実現できたうえ、さらにお客様の人生の物語がつくられていくと思うとこれほどうれしいことはありません。
開店したころ「泊まりにくい宿」として「全室禁煙」にして、部屋の中にタバコのにおいをつけなかったこと、「喫煙室」まで足を運んで守ってくれた愛煙家の人たちのおかげで、10年たった今「木の香りがする」とおっしゃっていただけること、さらに部屋の中に入ってくる木々にふれた空気がさらに香りを感じさせてくれるのと、「泊まりにくい宿」を「気持ちのよい宿」にさせてくれたお客様おひとりおひとりのお力添えである。
10年目をさらにのばし、数多い記念日をつくるよう努力していきたいと思っています。本当にみなさま、ありがとうございました。

 

 

09月24日

たくさんの赤トンボが山荘の周りを飛び交っている。日中の熱さは相変わらずだが、朝夕は木々を揺する静かな風にも冷たさを感じる。昨晩は星が綺麗だった。肉眼でも星雲が見えた。夏の暑さけだるさから解放され、夜空を眺める気分になったのかも知れないが、やせた月にも影響なく、まばゆいばかりの星の数と輝きである。こんな夜にあわせるように、虫時雨がにぎやかだ。
「りゆうりゆう」と美声の邯鄲 (カンタン)
「りいりいりん」と鳴く蟋蟀 (コオロギ) 古名はキリギリス
「りいんりいん」とお馴染みの鈴虫(スズムシ)
「ちんちろりん」と聞こえる松虫(マツムシ)
「ちぃーんちぃーん」と聞こえるのは何の虫か、聞き耳をするまでもなく、にぎやかな鳴き声は山荘全体を包む。夕食がすんでお部屋に戻られたお客様のお子さんの声が虫の声と一緒になって聞こえてくる。山荘はもう秋である。
ベランダの下に見える「山ぐり」は「イガ」がはじけて赤い身を見せている。茹でぐりにして一夜、その煮汁につけたままおくと、「しぶ皮」もきれいにむけて食べやすくなる。甘さを増してほっくらしてうまい。
「屋敷ぐり」の大きなものは、皮をむき、しぶ皮までとってから水でさらし茹でる。沸騰したら煮汁を捨てて再び水を加え、少量 の砂糖を加えて柔らかくなるまで煮る。次に冷ましてから水分を切り、裏漉しにする。アイスクリームの上にたっぷりとのせる。ソースアングレーズとからまっておいしさが倍増する。山荘の今夜のデザートである。

 

 

09月26日

静かな夕暮れ時、ベランダに出る。
コートをまくりあげた私の腕に、山の空気がやさしく触れる。
風は無いから木々は揺れていない。
小鳥のさえずりもとまり、虫の鳴き声も聞こえない。
日は静かに暮れていく。
大きく深呼吸をする。かすかな「キンモクセイ」香りがする。それもつかの間で木々の香りに混ざって消えた。心地よい山の空気を体全体に吸い込んで自然に感謝する。
動かなかった上空の雲が西の空に少し動く。「モズ」が2、3度大きく鳴いて、「けやき」の枝をゆすってから、また静かになった。「ねぐら」が決まったのだろう。
「モズの声」は煮込んでいた「肉料理」の仕上がりを知らせてくれたようだ。
ベランダから調理場に戻る足取りは軽い。
山荘の楽しいひと時である。

俳誌みづうみの会員の方がご来荘

・山荘に風といふ道男郎花(おとこえし) 政子

・竜胆(りんどう)の紫深し山の宿 昭子

「みづうみ」について
高浜虚子門下、原田濱人が昭和14年3月に創刊。
当時より全国に同人誌友を持つ。
平成14年笹瀬節子五代目主宰となり現在に至っている。
「俳誌みづうみ」は月一回発行し、平成16年9月をもって776号に達した。
今年は創刊65周年という記念の大会となった。

 

 

10月01日

雨降る山荘に秋が近付いている。先日の台風は、九州はじめ西日本に被害を与えていったが、今年は8回の本土上陸であったので、その都度、自然のエネルギーの強さを知った。このあたりは、台風のコースからは外れていたおでひどい被害はなかったが、各地被害にあった方たちには一日も早い立ち直りをしてもらいたいものだ。台風が去った翌日、午前中は雲が残っていたが、強い上空を流れる風に乗って動いて消えていき、あとには透き通 るような青空が残った。前日のあの激しい風雨はウソみたいである。たくさんの雨水を地に蓄えた為だろうか、山荘のまわりの木々がいつもより活き活きとしている。強風によって折れんばかりに揺すられ、かなりの木の葉は落とされたが、まだしっかりと枝についている残りの葉は、抵抗の後の力強さを見せている。地の中から樹全体にいきわたった水分が激しく呼吸させるのか、木々から吐き出されるマイナスイオンは香りとなって山荘全体を覆っている。山荘への坂道は日陰になっている。午後は、実に爽やかな風と共に秋の気配一色とありつつある。おいしい空気がある喜びは何にも勝る幸せである。

前菜: くだものと自家製くんせいのミックスサラダ。
スープ: 秋野菜がたっぷり。
魚料理: 海の幸の香草焼き。
肉料理: 牛肉の赤ワイン煮。
古典料理を召し上がりやすくしてあります。
デザート: 今年の栗はあまくておいしい。
デザートでお楽しみを。

朝食は和食、洋食のバイキング27種類たっぷり。ゆっくり召し上がれ。

 

 

10月02日

山荘全体を霧が包む。視界30メートル、山荘が自慢する「たまの木」がぼんやりと見える。樹齢100年のこの大木は山荘を訪れた人たちの記念写 真の被写体になる。霧の中で見ると幻想的で夢の中にいるようだ。やがて霧が少しづつ消えていく。茶畑や「たまの木」が緑色を増しながら、はっきりと見え出すころは白い大きな固まりになって前方の山に向かって進んでいく。霧の形はいろいろに変化する。丸かったり細長かったり、小さな固まりがたき火の煙りのようにちぎれて動いていく。それにつれて前方の山並の景色がぼかし絵のようになる。2〜3分でその絵は消えてしまうので、もったいないような気がするが、次から次へ異なるので見ていても飽きはこない。また思い出したように雨が降ってきた。草木がぬ れると香りがそっと動きだし、おいしい空気となって風に乗る。それは山のごちそうである。どんなに食べても飲み込んでも少しも減りはしない。あとから次々と運んできてくれる。自然とはこんなささいなことに喜びを感じさせてくれるのである。雨はさらに強くなった。前方の山は全体が見えず、山頂のシルエットだけが「すみ絵」となって残っている。今夜のディナーは雨の中で始まる。これもまた自然だ。

 

 

10月18日

秋の深まりを感じる。
今月始めの台風の強風にも耐えた木々の葉が色つきはじめた。
朝夕の冷え込みが追いうちをかけているので紅葉を楽しむ日も近い。
宿泊棟の屋根と壁との間に張りめぐらされた蜘蛛の巣の主も飛び交う虫もめっきり減ってきたのでどこか手もちぶたさのように見える。
山荘の前の茶畑に居をかまえた彼たちの仲間の巣は朝日に映え、綿ぼうしのように光ってみえて白い残雪がところどころにあるようだ。 それは大きなもので3メートルもあり夏場の彼らの活躍の名残りである。

村のまつりも終わり遅米の刈り入れも始まった。
この時期になると山荘のごちそうは「里イモ」と「自然じょ」だ。
干し椎茸の出し汁でのばしてつくる「とろろ」は朝食の主役となる。秋大根もあまく、 手づくり「こんにゃく」との「みそおでん」も秋の味覚だ。
ディナーのメニューはこの地方の名物次郎柿と自家製「くんせい」のサラダが前菜となる。
野菜のスープは秋野菜の勢ぞろいでおいしさが増す。椎茸やしめじもこれから味が濃くなってくる。

「食欲の秋」…からだにやさしいフランス料理と30種類の朝食の献立でお待ちしています。

 

 

10月23日

茜雲(あかねぐも)を見つめる。
赤からピンク色に変わりやがてうすい紅色になる。
いつしか雲は消えて空の色は夕やみにとけてなくなる。
山並みの黒さがはっきりと浮かんでくるわずかの時間が言い知れぬ 自然の美しさである。
山荘の「夕やけショー」は静かに幕をとじる。 ディナータイムにはまだ早く宿泊棟のベランダに出ていたお子さんの声が聞こえてくる。
夜のとばりとなった東の空に、やせてはいるがはっきりとした三日月をみつけ手をかざしている。 「少年と山荘の三日月」、彼は何を思いつつこの月をみているのだろう。
冷えた山の空気を吸いながらいつまでもたたずんでいる。
思い出をたくさんつくってもらいたいと願いつつ、街燈にスイッチを入れる。 もうすぐディナーが始まる。
その前のアミューズがこの自然からのおくりもので、楽しい食卓へのおさそい「ムード」となる。
スタンバイが済んだ「山荘のレストラン」、シェフの前掛けしめなおされる。さあ、これからが本番だ。
中村由利子のピアノ曲が静かに流れていく。「思い出づくり」の食事のスタートである。

 

 

10月29日

すすきの枝をほおじろがつついている。白くシャキっとすすきの群集は、これからが見ごろとなる。
欠けていた月が一夜毎に丸みをおび、やがて満月になる。そのころにはすすきの穂先につやもでてきて美しさを増す。
月夜の晩に、すすきの間からとびだした2匹の小うさぎをみたことがあるが今年はまだ見ていない。
先客があるためかも知れない。先客は荒っぽい「いのしし」である。夜毎「えさ」をもとめてやってくる。
最初のころは、親子で来ていたが今は「子いのしし」だけでやってくる。親は姿をみせたことがない。用心深く、一度も見ていないが「足あと」を残していくので、親と一緒であることがわかる。
「子いのしし」をこの地方では「うりぼー」という。可愛い愛称に聞こえるがその行動は荒っぽい。山荘自慢の花壇をほじくり返しめちゃめちゃにしてしまった。
目的は「みみず」を食べるらしい、食べているところは見ていないから、何を食べているのかわからないが、ここまで掘りおこさなくてもよいだろう…とぐちが言いたくなる。
まわりの農家では防衛策として畑のまわりに電線を張りめぐらして電気を流したり「アミ」をはったりしているので、なおさら「えさ」探しは無防備の山荘のまわりになるのだろう。
今年は特に被害が多いと聞く。「たけのこ」「くり」「自ねんじょ」など、ほとんどの作物が荒らされたようだ。
「いのしし」が一列になって山道を歩いていた…という話を何回か聞いたがその姿をみることはなかったが、昨日夕暮れどき坂道を車で降りていくと、登ってくる2頭の「うりぼー」とぱったりと出会った。
あわてた「うりぼー」達は近くの茶畑にとび込んだが、植えてある側面 から入れば姿をかくすことができるが、よほどあわてたのであろう、横から茶畑にとびこんでいったので木の枝にさえぎられて先に進んでいけない。
そこで頭だけ隠して「しり」隠さず、くりっとした丸い「しり」を見せていた。それ以上おどろかすのはやめようとそのまま通 りすぎたが、山荘の花畑を荒らした犯人?と思うと、そのままでよいのか少し迷う気持ちも残った。
冬になるとさらに「えさ」はなくなり「うりぼー」たちの荒らす場所が拡大するのは困ったものだ。
「いのしし」が増えすぎたのが原因のようだが、なんとかバランスをとってもらい(?)お互いに平和でいきたいものだ。
「頼むから山荘の花畑を荒らさないでくれよ」とつたえたいところだが、いまだ、その住居(巣)はわからないのである。
すすきの間に「けもの」道だけが残っているが…

 

 

10月31日

山荘の10周年記念パーティを行った。
関係者多数のお客様をお招きしたのであるが、通常50名様までの食事の仕事は慣れていても約200名近いお客様を接待するということは大変なことであった一番の心配事は当日の天気のことである。
晴れていなくとも雨さえ降らなければ大助かりである。
レストランのイスをベランダにだせば、広い屋外レストランの感じがでる。そのうえレストランの中はイスがない部分が広く使えるので立食パーティをするのには最適である。
これを天気次第であって若し雨が降ったら最悪となる。全員がせまいレストランの中で食事をするわけであるから、この日の天気予報は気にしていたのである。
前日までの予報は100%近い降雨とのことであった。当日の早朝から予報どおり強くふったり、やんだりしていた。うす暗い中に見る山は深い霧でほとんど見えない。
ここ山荘のある三倉の山々は森町の中でも年間の降雨量が多く貯水のための保安林となっている。そのため年間を通 して水不足の心配はないのであるが、今月の雨はうらめしく思えた。
パーティが始まるのは昼の12時からたくさんの人と車になるので駐車場は山荘への登り口に3ヶ所程スペースをとりここに駐車していただいた方を山荘まで別 の車で送迎することになった。
若し雨が降っていればこちらの方も大混雑となる。そんな心配と料理の仕込みでパニック寸前であったがパーティが始まる2時間前から雨があがり東西の空が明るくなってきた。
晴れ間も見えだしたのである。パーティの結果は雨のないさわやかな空気の中でベランダで食事を楽しむ人たちで賑わったのである。
大成功で10周年の記念イベントは終わり約3時間のドラマがすんだ。最後のお客様を見送った。その忘れていた雨がぽつぽつと降りだしてきたのである。
雨があがっていたのはパーティが行われた約4時間の間だけであった。この奇跡を神に感謝する。神様は「イキ」なはからいをしてくれるのである。
雨は昨夜から降りつづき今朝もまだやみそうもない。

 

 

11月13日

山荘のまわりの木々には残り少ない葉が最後の力をふりしぼって枝の先にしがみついている。 落ち葉は坂道にジュータン模様をつくり秋の深さを感じさせる。
昨夜からお泊りいただいている「紙手紙」の愛好会の方たちが、山荘のまわりでスケッチをしている。 女性だけの7名のグループはスケッチの場所をそれぞれに変えながら午前中いっぱい楽しまれていた。 絵になる「山荘」はすべてがスケッチの対称になるとうれしいお言葉である。
坂道には、野生の「りんどう」が咲いている。「野あざみ」も色あざやかでまわりの「白いすすきの」足元で群れをなしている。木にふれると「かぶれる」というウルシの木の葉は絵になると真赤に映えてきれいだろうと話しかけたら「スケッチ」をしたら「かゆく」なるといってこれは「ダメ」ですという。
もちろん「たまの木」は絵になるエース級である。茶畑のいくつもの畝は「カマボコ」でーす。とシャレていたが、デッサンのあと色づけされたらすばらしい絵に仕上がっている。
年齢層のある仲間は、時おり声をかけあって同じ「しゅみ」をもちあった心通 じる会話をしている。 すばらしい作品をつくりあげた皆さんは「次には桜のときに来ます」と予約をされて帰っていった。 山荘のリピーターは季節を変えて来ていただけるのでありがたいことである。

 

 

11月29日

木々の葉がすっかり色付きました。遠江国一宮、小国神社の紅葉祭りも大変な人出です。 神社の横を流れる小川の岸の木々の紅葉は美しく映えて今が見ごろです。ぜひ山荘へお越しの際はお立ち寄りください。 山荘レストラン棟横の桜の木はほとんど葉を落とし、近づく冬に体力を備えています。坂道には落葉が重なりあって厚いジュータンのように見えます。近づく冬の山荘の楽しみは、冷えた夜の満天の星。手をかざすと届くようなたくさんの星がきらめいています。 雨降る日には山々がキャンバスになり「すみ絵ぼかし」のようになって幻想的です。

旅の情報誌「るるぶ」「O2マガジン」「浜松百選」等に「スローフードの宿」として評価され掲載されました。是非ご覧ください。

「山荘のX'mas」を企画しました。ご来荘お待ちしております。

 

 

12月06日

ヒラヒラと落ちゆく「枯葉の舞」も終わりに近づいた。
動きのとまった坂道には、落ち葉による自然のデッサンが描かれている。
紅葉に気をとられているとき、宿泊棟の垣根の「山茶花」が満開だった。たくさんの花が咲いていても、まわりの木々の紅葉と散りゆく枯葉の前ではあまりにも目立たなかった。その「山茶花」も少しづつ花が落ちはじめ、冬への足音を感じさせる。
自然の中で、それぞれの命が季節によってうまれては消えてゆく、その一年が終わる月に入った。
三鞍の山荘の「食事による」「思い出づくり」も「X'mas」から「新年へと」バトンタッチされる。
「山荘だより」も「冬のお知らせ」になる。
今年一年「思い出」多き年でありました。

 

 

12月27日

 葉が落ちて見通しのよくなった木々の間を、「野うさぎ」がはねて通 る。人の気配で逃げたのではなく散歩を楽しんでる様子だ。
 この場所「きじ」も姿を見せる事がある。落葉が程よく重なって良質のジュータンのようになっている。 昼間はけっして姿を見せない「うりぼー」猪の子たちもこの場所を通 るはずだ。彼等の出勤は夜中なので「みみず」とりの「えさ」探しに割り返した「カナ」だけが残り、これに対する怒りだけが増すばかりである。 坂道にはこの10年で見事にはえ揃った芝生や苔が美しい。これを無惨にも掘り返してしまうのだから許せない。どこかに「えさ」を置いておくのを考えたが、そのような事をすれば、彼等の自然の体系が崩れてしまうのでそれだけはしたくない。何か良い案はないのだろうか。一度じっくりと相手と話し合ってみたいものだが夜勤の彼等には、ちょっと付き合えるチャンスはない。
 そこで「鉄砲撃ち」の名人に話をするのだが、「最近猪も賢くなってね…昼間はどこかにもぐってしまって姿を見せないのだよ」されば愛犬の出番「もう歳をとってしまったので、途中で追うのをやめてしまうのだよ…」これではダメだぁ。あきらめるしかない。
 地主の家はやたら家の周りを網で囲った。茶畑のお茶の葉を「鹿」がやってきて食べるらしい。「自然なんだよ、動物達がこのようにして現れるのは…」と喜んでばかりはいられなくなった。山の中の「えさ」が無くなったので人里近くやってくるようになった。まだ「熊」さんは来ない。その時は逃げる事に決めているが、どちらが早いか…。今からトレーニングをして体力をつけておく必要がある。
 「山荘」もクリスマス飾りから正月飾りの準備に入る。どうぞ新年をよい年でありますように…祈ります…。