2011年1月〜12月 Back Number
12月16日
※「ひるま」「ひよどり」がやってきた。
10数羽の仲間は「だれ」がリーダーなのかわからぬが、
久しぶりの「山荘」のまわりで「じゃれ…」あっている。
「ジョービタキ」はこのところ姿をみせない。
「ナワ張り争い」につかれたのか、それとも、他の場所がみつかったのか…彼は「だまって」消えた。
それでも用心のために「ランクル」の「ミラー」には、ビニール袋をかぶせてある。
《よる》満月に近い月の光の中にあって星の数は少なく見えるが、夜空いっぱいに広がって輝いている。
早い時間、ライトが光る飛行機がひっきりなしなしに西に東に向って飛んでいく。高いところを飛行するので「音」はほとんど聞こえない。
点滅するライトが「星たち」のジャマをする。
どこの部屋からか「ゲーム」に興ずる「子らの声」が聞こえる。「コタツ」を囲んでの楽しいひとときであろう。「山荘」の夜は静かにふけていく。
12月3日
「ジョービタキ」と愛車「ランクル」との「ナワバリ」争いも一段落したようだったが、相手は「ツワモノ」、今度は調理場の「ガラス戸」に「トツゲキ」をはじめた。つかれると、「小さな花だん」の葉のおちた「ユウカリの木」の枝に止まってひとやすみ・・・
彼にしてみれば、この建物はどこから「のぞいて」も「自分に似たまぼろしのジョービタキ」がいる。体あたりはしたものの「なんの効果もない」。
体力も精神的にも「疲れて」「グッタリ」していると、変な「オジサン」・・・シェフのこと・・・が石を「ぶつけて」くる。自然に優しい「山荘」と・・・うたっているのに、少しも「やさしく」ない。
ほとんど命中しない「石つぶて」をかわして今日も「たたかう」・・・
お互いに「争い」はやめて「仲よくしたい」ものだ。
雑木林の木々の葉はすべて落ちて見通しが良くなり、冬支度は完了・・・
昨年より増えた「しか」の鳴き声が「コダマ」になって山の奥から聞こえてくる。
11月22日
「可愛いいね……」
お客様のみつめる先には、「ジョービタキ」がいる。いかにも「人なつっこい」動きで人気ものになっている。
みなさんには、この「ジョービダキ」の本性がわかっていない。
実に「いやなヤツなんです」……
今年もはじまりました。我が愛車「ランクル」のミラーに体あたりをし、そして「下品」な「フン」をミラーのまわりに「ひっかけて」いるんです。ほとほとこの「コウゲキ」にひるんでしまい、「せめて」…ビニール袋をかぶせて、ミラーが見えないようにするのであるが、「くちばし」でビニール袋をつついておとしてしまい、「再コウゲキ」をする。
ようするに「なわばり」争いなんです。
ランクルは一年中同じ場所に駐車しているんです。ヤツは冬だけなのに……。
11月12日
雨の日
「たまの木」が「キリ」に包まれている。
前方に茶畑が広がり、後方には「キリ」の中から頭だけを出した山並みが見える。
この白い「カーテンのような」キリの動きは速く、数分間でいろいろな景色をつくってみせる。
「ゲンソウ的」な風景は写真にはうつらない。下手な絵でも「すみ絵」にすると「キリの動き」まで感じがでて面白い「スケッチ絵」になる。
雨の日も「いいですね」…の評価は、この変化する「すみ絵」のおかげである。
「すみ絵」の中に加わらぬ木々は、すっかり色づき「木」を守るために葉をおとし、残った葉は紅く色づいて最後の「おつとめ」をする。
色づいた葉は「紅」の他に茶色や黄色もある。この配色が「山」を美しくみせてくれる。
冬になる前の「山」のにぎわいである。
11月2日
部屋を出ると、少し欠けた月が頭上にある。
すっかり葉が落ちた雑木林の木々のすきまから星のむれも見える。
早朝の山の空気のつめたさが、寝ぼけ顔を心地よくなぜてゆく。
月光にも「ジャマ」されず星たちの輝きには力がある。
サァ…と流れ星が見えたのは気のせいだろうか・・・・・
11月になると、天気のよい日は、この天体ショーを楽しむ事ができる。
雨の日には残念だが、その時は「キリ」にむせぶ「山荘」の夜景も「ゲンソウ的」で、これまたおすすめ・・・とはいえ、満天の日に来荘いただければ幸いなのですが。
自然には「サカラエマセン・・・」。
10月29日
「どんぐり」の実が坂道におちている。
雑木林を見上げるが「どの木」が「どんぐりの木」かわからない。下から見ると見分けがつかないのだ。「ひろい集める」と、30粒ぐらいある。
「ふっくら」としているので完熟で落ちたのである。
たぶん「夜になる」と「うりぼー」…いのししの子…たちの「えさ」になるのだろう。
横どりしては「ルール」に反するので「車」につぶされぬよう、坂道の草むらにまとめておいておく。
どこにおいても「彼たちの」自慢の「きゅうかく」でさがし求めて「食べつくしていく」ことは間違いない。
今年は「ゆりの根」は食べなかったので山荘のまわりにはたくさんの花をみることができた。
被害がなければ「トモダチ」だ。おたがいに仲よくできるので「このカンケイ」を続けてもらいたい。
この場所だけでも「たくさんのどんぐり」があるので、今年は「えさ」には困らないのだろう。山の中は平和だ。……
10月19日
枝からつきはなされたように、枯葉が落ちてくる。地面にはたくさんの枯葉がつみかさなる。
葉が落ちた木の枝には、まだ未熟な実が残り、太陽の陽ざしをうけている。
朝、夕の寒さも加わって、数日で赤みがかった「美味なる柿」に変身する。
たわわに実っている柿をみると、秋の深さをさらに感じる。
「しぶ柿」が熟し「とろり」とした果肉は、木の枝に残っている「もの」ほど、おいしい。
「コリコリ」とした歯ざわりが好きな方にはあまり好まれないので、ひとりじめして食べることが多い。しかし、「ライバル」もいる。
集団でやってくる「メジロ」には、どうしても先をこされるのである。
10月11日
秋晴れ・・・
午後のひととき、山々を背向い前方に山並みをみる。陽に輝くみどりをながめると、自然と大きな深呼吸をする。
吸い込んだ空気は実においしい。

落ち葉がつもる坂道を「つがいの山バト」が歩く。こちらの動きに合わせるように2〜3メートル「とんでは」また歩く。
秋の陽がないところは涼しいので気持ちがよいのだろう。お互いに「ジャマ」をしないように散歩を楽しむ。
山奥の里山の方で花火の音がする。「まつり」の合図だが、地味な音だ。
パーン、パーンと三発・・・ ・・・
夏の間、落雷の大きな音に慣れている耳には小さく聞こえる。
自然への感謝の「まつり」は静かに始まった。
10月3日
まつりが近づくと、村の衆は総出で道端の草刈りをする。
身ぎれいになった土手には、たくさんの「ヒガンバナ」が咲いている。「ヒガンバナ」を残して刈ったのではなく、全てを刈った後に「ニョキニョキ」と、わずか数日で咲きほこるのであるから、不思議な花だ。赤い花が目立っているが、たまに白い「ヒガンバナ」もあって、「みつける」と「すばらしい発見」をしたようで立ち止まって話しかけたりする。
この季節の景色は、「夢の中にでてくる絵のような風情があり」、こころ休まるのも「ヒガンバナ」を見るからだろうか・・・

山は秋が深く、そして食欲の秋。
くり、柿、じねんじょ、きのこ、etc・・・
山里のほこれる素材に囲まれる。料理人にとって腕の「見せどころ」である。
夜は、満天の星がみられるチャンスがふえる。
9月28日
「つくつくほうし」のなき声が夏の終わりを告げている。
「これっきり、これっきり、これっきりよ〜〜」と、なき声の終わりが聞こえるのも、彼らの一生 をうたっているようで淋しい音色だ。
「あきあかねトンボ」の「オス」のからだがあかくなり、動きにも役目を終えたような、のんびりとした飛び方をしている。
「おにやんま」は、相変わらず「イカク」するようなスピードで坂道を行ったり来たりする。
村まつりは、街に近い方から順番でやってくる。村の若い衆は休日ごとに集まって「まつりの」準備にいそがしい。
まだ笛やタイコの音は聞こえぬが、風がその音色をはこんでくるだろう。
山里は、しばらくはにぎやかになる。
9月14日
中秋の名月にてらされた山荘の夜は、近年にない「美しい、静かな」月の世界がみられた。
明かるい月の光にさそわれてか、「恋」をかたる虫たちにとっても最高の舞台だったようだ。
聞きほれる方がおどろく程、「それぞれの虫たち」の音色がちがう。「ガチャ、ガチャ」「スイッチョン」「コロコロ」「ピーピー」「ヂーヂー」etc…と聞き分けることはできないが「はっきりした言葉」で表現できるような音色はひとつもない。
これは「秋」の…そして「名月の夜」にだけしか聞こえない、特別な「恋の音色」なのかも知れない。
残暑きびしい日中から「ぐっと冷える空気の中で」木々の香りを感じながら見る満月は、すばらしく、自然の「おくりもの」として感謝せずにはいられない。…ありがとう。…
9月2日
紅や茶色や黄色にそまった山桜の葉が坂道に落ちて「秋の風情」の一番のりだ。
落ち葉は、日増しにふえて「美しい木の葉」のジュータンをつくってくれる。山の秋は早い。
そのスピードは、木々からおとす「木の葉っぱ」との競争だ。
この秋の気配に「山の虫たち」の音楽会もさらに、にぎやかになる。
夜だけでは「なきすまぬ」虫たちは、昼でも建物のかげで仲間をよんでいる。
秋は、調理場も活気づく…
朝食の「なすのみそいため」も味がよい。
次郎柿や、栗の「ウワサ」もつたわってくる。
デザートに「栗のピュレ」が添えられる日も近い。
8月20日
山荘のベランダで「スケッチ」した「思い出ノート」を「こわき」にかかえ、右手を大きくふって坂道をくだっていった。彼女たちの夏休みは「終った」。
「別れ」を惜しむように「赤トンボ」のむれが後を追う。
この「赤トンボ」たちも、この一週間で「たくましく」なり、すっかり「秋」の赤トンボたちになった。
来年の同じころ「来荘」をお約束されて帰られたお客様との「再会」が楽しみとして残る。
「ご予約カード」にわずか一行の文字のならびであるが、そこには「待つ人」と「待たれる人との」一年間の「ドラマ」がある。
「お逢いできる」幸せは「おたがい」に健康でなければならない。その努力のため、坂道を今日も歩く。
「待つ」ことも楽しみのひとつである。
夏の終わりを「告げる」ように、たくさんの「高砂ゆり」が咲きほこり「山荘」を吹きぬける涼しい風にゆれている。
8月5日
降り続いた大雨による三倉川の水かさがへり、いつもの「おだやかな流れ」になった。
夏休み中は、この「流れの遊び場」に、元気な親子連れが「カラフル」なタオルをぶらさげて遊んでいる。
親から子らへとつたえられる「自然の中であそぶ」マナーが、年を追うごとによくなってきているのは、この「川の流れ」を16回続けてながめてきたゆえの感想である。
「ニュース」でしかわからない、東北地震のあの津波のあとの「シーン」が人々に「なにげない」「自然の大切さ」を教えてくれた。
「山荘」のベランダから景色をながめた全ての人の言葉の中に「自然」は大切だね……とある。
静かに流れる三倉川のよどみにおよぐ小魚たちも「いつもより」いきいきとして見える。
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森町を流れる太田川の支流。
「山荘」へは、この三倉川をながめながら「車で走る」約10分走って「山荘」への登り口の林道に入る。500メートル登ったところに「山荘」はあります。 |
〜〜〜〜〜〜 ◎ |
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7月29日
二番茶(にばんちゃ)がとれたあとの、茶畑のお茶の木の手入れがはじまった。
茶葉の先端を切りそろえる作業が「茶葉切り機」で行なわれている。バリバリという茶葉の切れる音が、山里にコダマする。
小気味よい音が通りすぎた後には「頭髪の五分刈り」のような、さっぱりとした茶畑が姿を見せる。
この音に反発をみせているのが、茶畑を自分たちの「ナワバリ」にしている「コジュケイたち」…… 集団で「なきさけぶ」が「茶葉切り機」のモーターの音には「かなわない」「マイッタ、マイッタ」と静かになった。
この数日、山荘は涼しい日が続く。
そのせいか「うぐいす」のなき声がひっきりなしに聞こえてくる。
気温が下がり、温度によって自分たちの出番を感じ「うたい」だすのだ。
そのせいか「セミ」の声が少なくなった。
夜になって「コオロギ」のなき声が聞こえるのも「山荘」の不思議な季節感である。
7月20日
日中のあつさはこたえるが、朝、夕は涼しい風があるのですくわれる。
この風にさそわれるように「ヒグラシ」がなく、ゆったりとした音階は、風流があって評判はよい。
例年だと「耳ざわり」になるくらいたくさんの「ヒグラシ」がなくが、今年は数が少なく、変化する季節を感じさせられる。
来荘の目的のひとつが「虫とり」と楽しみにされているお子さまが「虫がいないの」……とさびしそうだ。
2日がかりの願いがかない、中型の「クワガタ」をつかまえたのは、よほどうれしかったようで「来年に来るね」と約束をして山をくだっていった。
「虫」や小鳥が住めないところを大人はつくっている。
山荘はそうならないよう自然にやさしくありたいと願う。
7月4日
「つゆ」の晴れまにみせるあつい陽ざしは、小鳥たちにもとまどいを与えている。
山荘の朝夕は涼しさがあるが、日中の温度計は見る気がしない。
ひっきりなしに聞こえてくる「ホトトギス」の「なき声」が風の谷間に「コダマ」する。
負けてはいられないと「ウグイス」の「谷渡りソング」も風にのり、「小鳥たちの」「なき声、コラブ」は、「ランチタイム」で来荘されるお客様たちを喜ばせている。
早朝の「トンビ」の「ピーヒョロリ」は、姿をみることができないので、ベランダでの朝食を召しあがる方には夢のような「音色」である。
陽ざしをさけて茶畑に入った「コジュケイ」の仲間がけたたましく「なく」が、これは「声」が大きいだけであまり風流には聞こえない。昼すぎの余興といったところだ。
「美声」と「行儀」の良さでは「ほほじろ」にはかなうまい。
枯れ木の「てっぺん」や電線などにとまって「ピチピチ、ピヨリ、チョン、ピチ、ピチ」と、いくつもの「メロディ」を組みあわせ、顔全体を「ななめに」あげて「さえずる」音色は、すばらしくて聞きほれてしまう。
この「美声」の持ち主をすぐそばでみつめながら、山の中ではの「木々」の間をぬける「涼しい風」をうけていると「つゆ」のことは忘れてしまう。
6月24日
「たけのこ」の種類には…
孟宗竹(モウソウダケ)。破竹(ハチク)。真竹(マダケ)がある。
それぞれの調理方法で朝の食卓をにぎわせたが、その旬も終わった。
農家の方たちをなやませた「いのしし」の被害はあいかわらずで、「たたかい」のなかでの収穫は、大変であったようで「おいしさ」のうらにはご苦労があったのです。
例年にくらべると味が「イマイチ」であったのは「味のハズレ年なので」仕方のないことでした。
「つゆ」が終わると「いろづいた山椒」がとれる。地味だが「山椒みそ」をつくって食卓にならぶ…
夏が近づくと「大きゅうり」が届くので、このうす切りにした「酢のもの」はおすすめです。
季節の料理素材との仕事の「追いかけっこ」は、これまた「楽しい」ものです。
6月13日
山の朝は早い。
小鳥のさえずりも、夜明けとともに聞こえだす。
「つゆどき」のジメジメした空気は、夜のうちに木々の中で冷やされているので、「ひんやり」として気持ちがよい。
木の葉の香りをついて、ブレンドされた空気のシャワーを身体いっぱいに受けて坂道をくだる。仕事場への、わずか数分のウォーキングタイムは、大好きなひとときである。
深呼吸すると、身体全体にしみ込んでいき、大きくひろげた両手から少しづつ空気がぬけていくように感じる。
これ以上の健康へのプレゼントはあるまい。
6月1日
「山が笑う」あとには木々が「にをう」季節となる。
木々の花が咲きみだれ、その色の変化で「山が動く」感じだ。
「ナラの木」や「クリの木」の花の香りは、他の木々の花を圧倒するほど強烈で、深緑の季節を二分して雨期をむかえる。
つゆの恵みを受けた「田んぼ」の「稲」は、ひとあめごとに背をのばしている。
うるさいほどの「なき声」の「カエルたち」は、すっかり落ちついたのか静かになった。
雨水を集めた川岸には「ねむの木」がそろって青い葉をつけ、枝のすみずみまで「水分」を吸いあげている。やがて「プロペラ」のような花をつけて、にぎやかな「まつり木」に変身する。
5月20日
田植えのすんだ水田から「カエルの大合唱」が聞えてくる。
半分刈りとられた茶畑の中からは「コジュケイ」の仲間をよぶ声がけたたましく聞こえる。
山の奥からは「ルリの声」が「コダマ化」して聞こえ、これに答えるように「ウグイスの谷渡りソング」がとだえることなく続く。
緑の色が濃くなった山の中は「いきものたち」で大にぎわいだ。
俳句の「山が笑ふ」は「うまい句」がうかばないうちにすぎさって、新緑の季節となってしまった。
山の季節のうつりがわりはスピードが速く、風流を追いかけるのも大変だ。
あわてるな…のんびりといこう。
新茶をのんでゆっくりしよう。
5月11日
杉林と雑木林の境(さかえ)に「シャゲ」の花が咲いている。白い花の中心に黄色いつぼみをつけたような「シャゲ」の花は、太陽をさけるように咲くので、あまりめだたない。
開花をしてからの寿命がながく繁殖力も強いので、年ごとに増えている。
例年だとこのあたりに「笹ゆり」が咲いたはず……とさがしてみたが見つからない。
まだ、少し早いようだ。
「ゆり」の根を好む「いのしし」には最高のごちそうであるが、「根」が小さいので興味がないのか、場所が急勾配なので「手がでない」というところだろうか……。
おかげで、この付近の「笹ゆり」は花を楽しむことができる。
たくさんの配色でにぎやかだった「山の木々」の「緑…みどり」もさらに深い「緑」となって目にまぶしい。
うぐいすの「谷渡り」も絶好調、山里にこだまする。
5月2日
連休にはいってからの2日間の雨降りは、「なんじゃもんじゃの花」の寿命を短くした。
4月の下旬から咲きはじめ、雨水さえかぶらなければもう少し楽しめたのにと残念がる。
青い葉の上に錦のような「ふわふわ」した白い花はめづらしいので人目につく……。
「あの木はなんですか?…」とたずねられ「なんじゃもんじゃの木です」と答えると、「じょうだんでしょう」と笑われる。
命名の由来はわからないけれど、語呂合わせからして武士の会話であろうと勝手に思いこんでいる。
山里の「こいのぼり」も数がふえて5月5日の祝いの日をむかえる。
4月26日
その年によって花の咲きぐあいが異なり、「あたり年」の花は美しく咲いてその年の花形となる。
今年の場合「桜」は不作であったが、地味に咲く「山桜」が「あたり年」であった。
「白い花」が木の全体をおおい、やわらかそうな「葉っぱ」も入り交じって美しさを見せている。
気がつくのが遅すぎたのか「満開」になってからの寿命が短いのが残念である。
またタイミング悪く、夜になって強い雨が降り、一夜にして花ビラは地面に落ちてしまった。
雪が降ったように真っ白になった坂道は、「くつ」で踏みしめてしまうには「もったいない」と「ハダシ」になって歩いてみる。
わずかの間でも「美しさ」を保っておきたいと、「山奥へ向かう車」の登ってこないことを願う。「林道の通行止めの日としたい」
4月20日
夜、9時30分。
静かな雑木林の中から「キツツキ」の「木ぼリ」の音が聞えてくる。規律正しい作業はリズミカルで小気味よい。
「コツコツ」とも「カァカァ」とも聞えるが、「力(ちから)」の入った音色をだしている。
「夜食」の「えささがし」とはいえ、この時間ではちょっとやりすぎでは・・・と注意をしたくなる。だが「虫の寝込みをおそった」となると、頭脳的行動かも知れぬ。
欠けた月が照らしているが、木々の間ではそれ程の明るさはない。
約20分ぐらいで静かになった。
目的をはたした彼の「ねぐら」は、そう遠くはあるまい。
木々の間を「ぬける」空気がさらにおいしくなって通りすぎていった。
4月11日
待ちこがれていた桜の開花も暗いニュースにあわせるように静かに咲いた。
昨夜は雨が降り、枝の先まで水をふくんだ桜の大木は満開となる。
風もなく青空の下で「たわむれ遊ぶのは」若い「ヒヨドリ」の軍団、口バシに「花ビラ」をくわえて「バトンタッチ」のゲームに見える。
軍団とは離れたところで花の香りに酔いしれているのは「めじろ」の仲間たち。
白い花ビラの中で「黄色」が目立つが、動きは地味だ。
いづこも「花見の宴」はなく、自粛ムードの中でも「山里の村」の男の子誕生は「こいのぼり」に将来の夢をたくして「風になびかせ」およがせている。「幸せ」はやがてくる。「きっとくる」
それを信じて小鳥たちと「地味な花見」をすることにした。
4月1日
安定しない季節の変化に、花も、小鳥も、山の動物たちも「とまどっている」。
鳴きはじめた「ウグイス」たちが、ノドの競演をやめたのも、朝夕の寒さのためだが、日中の温度は5月のはじめのあたたかさになるため、
これには「桜の大木」が反応する。「大きなつぼみ」がさらにふくらんで「いつでも開花」…OKと待ちかまえている。
ようするに朝夕と日中の温度のバランスが悪いため「全てのいきものたち」はまよう。……
心配なのは茶畑をおびやかす「霜(しも)」。せっかくの新芽を凍らせて、台なしにしてしまう。
自然は季節ごとに幸せを与えてくれるが、その反対の残酷な代償も求める。
朝、小鳥のさえずりで目覚め、野山の季節の花をそっとながめ、「のんびり」「ゆったり」とすることが、今こそ求められるのであろう。
3月18日
「東日本大震災」に続く「静岡東部地震」は、大変な災害をもたらし悲しみの余波は、まだ続いています。被害を受けられた方たちが一日も早く立ちなをられることを祈っております。
朝夕の寒さのせいか、「なきはじめたウグイスの声」が聞えなくなってしまったのも気になる。
〈早朝4時〉
残月があるので足元は明るい。月あかりでも満天の星は輝いて見えるのも寒さの分、澄みきっている。あけ方の空気なのだろう。
手にもった「ライト」のあかりは道をてらすのではなく、いきなり出会う「動物」との「そうぐう」をさけるためで、こちらに「人間さま」がいるということを知らせるためである。
相手をおどろかせると事故につながる。
動物というと「大げさ」だが相手は「いのしし」だ。夜の行動は「えさ」を求めるので、雑木林の入口の「ゆりの根」を掘って食べる。「みみず」も好物と聞く。幸いにして、この相手との「トラブル」は一度もおきたことはない。
ときおり落ち葉をふむ音はするが姿をみたことはない。
3月5日
レストランの前にある「花だん」の中で、河津桜 ……カワズサクラ…… が開花した
。
木が大きくなるにしたがって花の数が増え、今年は「花だん」をのぞきこまなくとも見ることができる。
山荘のまわりで咲く花は、北風の中でたえている「スイセン」が最初で、次が「ミツマタ」
このふたつの花の寿命は長く、寒さの中で開花してそのまま春を迎える。
梅は目立って咲くが、「ハデ」な分だけ散るのも早い。花ビラを追う小鳥の動きにも、春が来た。
今週に入って降った雨は、木々にたっぷりと栄養を与え、枝の先の「つぼみ」をふくらませてくれた。もうすぐこれがはじけて若芽(わかめ)となる。
朝食の「フキノトウ」の「てんぷら」は、香りがついてさらにおいしくなってきた。
2月22日
寒さから解放され、「こもれび」がもれる雑木林の坂道を歩く。
「コガラ」の群れがついてくる。
のどかな散歩も「熊よけ」の「鈴」をもっているので3ヶついている「鈴」がにぎやかな音色を出す。
“熊”出没注意の回覧が役場から届き、一応「熊よけ」のための「自衛」とはいえ、風音のない静かな日には、なんとも「コッケイ」な姿である。
「音」の出るものを身につけ、熊に対して自分の存在を知らせるとよい。こんな注意も本当に「熊」と出会ったら、どのような行動で逃げかえるのだろうか……。
この「熊騒動」… 一度「オリ」でつかまえた熊を山の中に放し、その熊が里の近くに「やってきた」というのであるから「笑えない話である」。
2月10日
一年前の冬
「みつまた」の根元を「いのしし」に掘りかえされてしまった。
加害者の言い訳によれば、「えさ」を求めて根元近くにいるであろう「ミミズ」をとって食べたのであり、斜面すぎたのが悪かったじゃん……
この被害は3年かかってやってきた。
それまでは「こんもり」とした枝ぶりが「みつまた」の木々を美しく見せてくれていたが、ついに、今年は淋しい「枝ぶり」になってしまった。
この木の「なわばり」は、冬鳥「ジョービタキ」のものだったので、今年は興味をみせず近づいて来ない「しっぺがえし」にあっている。
「みつまた」の木の根元は「いのしし」のするどい歯で「かじり」さらに、爪でひっかいていたのが原因のようだ。
被害のあとの「手入れ」が悪かったようだ。
久しぶりに近づいてきた「ジョービタキ」は「あざわらう」ように別の木の枝に大きくとんで去っていってしまった。
2月1日
先日、
久しぶりに降った雪景色に「コーフン」して「美しい」‥‥‥などと、はしゃいでみたが、TVのニュースで見る、日本海側の大雪は想像を絶するものであった。
雪国の人たちにとって「大雪」は、めいわくなもので「美しい」などと「たわむれている」自分を反省している次第です。
屋根の上につもった「雪」を「おろす」作業中、転落して、おなくなりになった方もいて、「雪」の恐ろしさを知らされました。
若者たちが「出かせぎ」にいっている留守宅で家を守っている年配者たちが事故にまき込まれていると知ると、よけいに悲しくなる。
若き日、フランス、モンブランで覚えた「スキー」をやめてからしばらくたつが、その時の雪の「思い出」が消えてしまうようで「自然よ」‥‥ほどほどに‥‥と祈る。
1月20日
16日に降った雪が坂道に残っている。
この林道の坂道はめったに車は通らないが、たまに通る車もこの残雪をさけて走る。
山荘への道は一日でとけたので心配はないが、それでも「カーブ」ごとに役場から配布された「塩」をまいて凍結をふせぐことができた。
来荘のお客様の中には、雪道に慣れておられる方は、積雪の道を平気で走ってこられるが、途中から「SOS」を発信してこられる方には、おむかえの「ランクル」の出番になる。ふだんはもてあまし気味の図体も、このようなときには頼もしく見える。
「雪に」よるこのような「さわぎ」は山荘をオープンして2度目である。(16年間で…)
「そちらは雪が見られますか?孫に雪を見せたいので…」…と昨年の暮に電話での問い合わせがあった。まさかこんなに早く降るとは思っていなかったので「こちらはほとんど降らないんですよ…」というコメントは、今後は変更しなければならぬ…
久しぶりの「山荘」の雪景色きれいでした。
1月12日
年末、年始と「山荘」はにぎやかでした。
「山荘」で年末をすごし、そして新年を迎えるというお客さまが年ごとに増え、「山荘」でお知りあいになったお客様どうしが、この場所での再会を約束して山荘を後にされていく。
山荘がオープンして16年目を向かえる。
昼のランチタイムには「小さなグループ」の食事会がある。自然の中で「おしゃべり」を楽しむのは、「お正月の接待づかれ」の奥さまたち。次回は「泊まり」で来ようと「コタツ」のある部屋がすっかりお気に召したようである。
今、山荘のまわりの木々の葉は落ちて殺風景であるが、この冬の景色が好まれるのも、自然の楽しみ方のひとつであろう。
冬が来なければ春は来ぬ。やがて木々に葉がついてくるのを待つのも、冬の間の寒さを「ガマン」する「ヒケツ」であろう。
そう思えば、寒さも実に気持ちのよいものだ。
