「ジャカルタ土産話その2」

 清八でございます。

 ジャカルタ三日目は、朝食バイキングの後、市内観光に出かけました。前回、レポートしましたように、和食のメニューはひとつも無く、サフランライスが朝からたいへんおいしかったです。ホテルから外に出ると、いきなり30度の世界、確かに朝6時からホテルの中庭にあるプールで楽しんでいる歓声に起こされましたので、この気温は間違っていなかったです。午前中はスマトラ島との物資を運んでいる国内航路の港と市場を見学しました。港に入っているのは全て木造船で、しかも船体30メートル以上の大型船でした。甲板すれすれまで沈む程、木材を積んできて降ろし終わるまでに船体が浮かんできます。その間に船体に付着した貝殻を落としたり、塗装をしたりと十分な仕事量になっているようです。この木材を降ろすのはクレーンでは無く、人力で一本いくらですから。市場には、この船員さん向けに様々な商店が軒を連ねているのですが、もちろん下は土のままですから、スコールの度毎に水浸しとなり、商品と廃棄物が一緒に陳列されているような状態になってしまいます。魚屋にしても肉屋にしても炎天に生で置かれている為、追い払っても追い払ってもたかってくる蝿で真っ黒になっていて、たぶん、普通の日本人観光客は百パーセント食中毒となると感じました。私は昭和30年代の日本の商店街を思い出したのですが、同行者の感想は昭和20年代の日本の風景であったそうです。

 次の観光地は、Taman Mini Indonesiaという遊園地に行きました。 ここはインドネシア国内の各島・民族資料館でそれぞの建物が実物大で展示されており、各民族衣装や生活習慣を紹介してくれています。遠足や修学旅行に必ず組み込まれている為、当日もバスで10時間かけて初めてジャカルタに来たという小学生一行でにぎわっていました。昼食は、この公園内のオープンテラス(屋台の前の広場のゴザ)でのインドネシア料理となりました。焼き飯、焼きそば、そば、とビール、ココナッツの生ジュースでの宴会でした。ここでも、ココナッツの残りに大量のハエがたかってきた為、お店でロウソクを持ってきてくれました。普通 の日本人観光客一行でこのような宴会をしている風景は珍しい為、現地の方からは逆に見学され続けました。

 午後からは地下に日本食レストラン(明石焼、うどん)のあるPASARAYAデパートヘ立ち寄りました。東南アジア内の現地デパートはだいたいこうした方式なのですが、ここでも一度キャッシャーで支払い、領収書と商品交換券を持って、その売り場で現物と交換するというシステムでした。地下には食料品売り場があったので、どんな食材があるのか歩き回ったのですが、何と、本場のジャワカレーがありました。あのハウスのジャワカレーでした。現地語でデザインされた「きのこの山」や「コアラのマーチ」もたくさん置かれていました。

 滞在中にいつも感じていたのは金銭感覚の違いでした。一円が80ルピアというレートですから、初日のやぎ焼きでのビール宴席の請求書にびっくりしたのは、10人で170万ルピア(日本円に換算してみて下さい)の額面だったからです。仕事でも観光でもしばらく現地に滞在していて日本に帰ってくると金銭感覚がおかしくなるという噂は本当だと実感しました。今回のレポートの目玉があります。あのジョニー・ウォーカーの最高レベルにジョニ青(青ラベル)があると噂には聞いていたのですが、シンガポール空港の免税店で現物を確認できました。しかも、ジョニ緑(緑ラベル)までありました。国内では入手できないそうですので、海外旅行の際にでも、ご確認・ご購入ください。ただし、黒ラベルの約5倍の免税価格ですので、ご注意ください。

2005.2.15